歴史の痕跡 — 痕跡の記録
土地の上で建物が建て替わっても、前にあったものの形は消えきらないことがある。道の不自然な曲がり、一段だけ残った石垣、ビルの谷間の碑文。この欄には、その残り方をたどった記事を置いている。
戦争の記録が多い。大阪空襲はどこが焼けたのかでは、1945年に8回あったとされる空襲の被災範囲を場所ごとに整理した。京橋駅空襲と慰霊碑では、碑に刻まれているのが「南無阿彌陀佛」の六文字だけで、犠牲者の数は隣の説明板に二つ並んでいることを記録している。模擬原爆と大阪・田辺は、広島の11日前に落ちた爆弾のことが46年後まで分からなかった話である。
戦以外もある。大坂の陣の痕跡を歩くは真田丸の推定地から茶臼山まで、うめきたは、墓所だったは大阪駅北で見つかった1,700体を超える埋葬、湖の底に、村があるは全国7つのダム湖に沈んだ村を扱う。
刑場跡については、大坂の四刑場や江戸の三大刑場のように、町域と街道の関係までは書く。だが現在の一点を特定することはしない。跡地の範囲は資料の間でも食い違うことが多く、そこはいま人が住んでいる土地でもある。断定できる範囲と、できない範囲を分けて書いている。
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- 終戦の日に埋められた大砲が、36年後に工事で出てきた — 四日市市日永(2026-08-07)
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- 真田幸村の終焉の地を歩く — 本陣の茶臼山から安居神社まで、徒歩5分だった(2026-08-01)
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- 大阪城公園に残る戦争の痕跡 — 76年間、ここは陸軍の土地だった(2026-07-27)
- 京橋駅空襲と慰霊碑 — 石の六文字と、並んで立つ二つの数(2026-07-26)
- 模擬原爆と大阪・田辺 — 広島の11日前に落ちた「パンプキン」(2026-07-23)
- 大阪空襲はどこが焼けたのか — 場所を地図でたどる(2026-07-08)
- 大坂の陣の痕跡を歩く — 真田丸・抜け穴・茶臼山はいまどこに(2026-07-08)
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