大阪空襲はどこが焼けたのか — 場所を地図でたどる
大阪大空襲は1回ではない
「大阪大空襲」と一言で言うと、ある特定の一夜の出来事のように聞こえる。実際は違う。1945年3月から8月まで、大阪は少なくとも8回の大規模な空襲を受けたとされる(諸説あり)。3月13日、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、そして終戦前日の8月14日。焼けた場所も、狙われた目的も、回によってまったく違う。
だから「大阪 空襲 場所」と検索してこのページに来た人には、まず伝えたいことがある。「大阪空襲」は面ではなく、複数の点の集合だということだ。祖父母の話に出てくる空襲と、慰霊碑が建っている場所の空襲が、同じ日のものとは限らない。
ここでは資料で確認できる範囲で、代表的な3つの場所――ミナミ、大阪砲兵工廠、京橋駅――に絞って、どこで何が起きたのかを整理する。
第1回(3月13-14日)、狙われたのはミナミと市街地そのもの
最初の大空襲は1945年3月13日23時57分から翌14日3時25分にかけて起きた。B-29が274機襲来し、焼夷弾で市街地を焼いた(大阪府立図書館の資料、「第1回大阪大空襲」ページによる)。
軍事施設ではなく市街地そのものを焼く「無差別爆撃」だった点が、この回の特徴になる。被災地域は浪速区、西区、南区(現・中央区)、港区、大正区、東区(現・中央区)、西成区、天王寺区など、大阪の中心部から南部にかけて広範囲に及んだ。焼失面積は21.0平方キロメートル、死者は3,987人とされる(行方不明678人、重軽傷者8,500人という数字も伝わる)。
いまの難波周辺、なんばグランド花月やミナミの繁華街が立ち並ぶあの一帯は、戦後に再建された街だ。焼け跡だった時期があったという事実は、賑わいの下に埋もれて見えにくい。
現地の痕跡は[第1回大阪大空襲の中心焼失域](../spots/9.html)にまとめている。翌1946年には「大阪市地図:戦災焼失区域明示」という地図が作られ、どこまで焼けたかが記録された。大阪府立図書館に所蔵されている。
終戦前日、8月14日 — 砲兵工廠という「標的」
8月14日の空襲は、それまでと性格が違う。狙いは市街地ではなく、大阪砲兵工廠という一点だった。
大阪砲兵工廠は1879年(明治12年)に発足した旧陸軍の兵器工場で、東洋最大級と呼ばれた規模を持つ(国立国会図書館のコラムによる)。場所はいまの大阪城公園東部から大阪ビジネスパーク(OBP)一帯にあたる。8月14日、B-29約145機がこの工廠と光海軍工廠を目標に襲来し、706.5トンの爆弾を投下した。施設の8割から9割が破壊されたと伝わる。
ポツダム宣言の受諾が決まっていたにもかかわらず、日本側の対応が遅れているという理由でこの空襲は実行されたとされる。終戦の前日に、これだけの規模の攻撃があったという事実は、資料を読むまで正直ぴんと来ていなかった。
跡地は[大阪砲兵工廠跡](../spots/7.html)として、大阪城公園東部やJR森之宮電車区などに姿を変えている。
同じ日、京橋駅を襲った1発
砲兵工廠を狙った同じ8月14日の空襲で、1トン爆弾4発のうち1発が国鉄京橋駅を直撃した。狙いが工廠だったとしても、隣接する駅に爆弾が落ちれば、そこにいた人は逃げようがない。
犠牲者数には幅がある。総務省の資料によれば、身元が判明した犠牲者だけで210人、無縁仏を含めると500人から600人規模になるとされる。この回全体の被災地域は東区(現・中央区)と城東区で、被災戸数1,843戸、死者359人、行方不明79人という統計も残る(出典によって集計範囲が異なるため数字に幅がある)。
駅の南側には、1947年に地元・大東市の森本栄一郎氏が私費で建てた慰霊碑が立つ。1955年からは毎年8月14日に慰霊祭が営まれてきた。終戦の前日に亡くなった人たちのための場所が、80年近くたったいまも守られ続けている。[京橋駅空襲被爆地](../spots/8.html)に詳細をまとめている。
大阪府全体ではどれくらいの被害だったのか
8回の空襲を通じて、大阪府では死者12,620人、行方不明者2,173人にのぼったとされる(ピースおおさか・大阪国際平和センターの資料による)。この数字も、資料によって表現に幅があることは断っておきたい。焼け跡から数えきれなかった人、身元がわからないまま「行方不明」で処理された人が多く含まれているからだ。
「どこが焼けたか」を場所単位で見ていくと、この数字の一つひとつに、地名と日付があったことが実感としてわかってくる。
記録を見に行ける場所
大阪城公園のそばに、ピースおおさか(大阪国際平和センター、大阪市中央区大阪城2-1)がある。大阪空襲の記録を常設展示している施設で、開館は午前9時30分から午後5時(入館は4時30分まで)、休館日は月曜日など。空襲で焼けた場所を地図や写真で確認できる、数少ない場所の一つだ。
このページで触れた3つの地点以外にも、大阪には空襲の痕跡が残る場所がまだある。
あなたの住所の周りに、どんな痕跡が残っているか。→ [痕跡マップで痕跡濃度を測ってみる](../index.html)
参考・出典
- https://www.library.pref.osaka.jp/site/osaka/180-kusyu.html
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
- https://jinken-kyoiku.org/heiwa/o-kuusyuu1.html
- https://jinken-kyoiku.org/heiwa/o-kuusyuu8.html
- https://www.city.osaka.lg.jp/chuo/page/0000636430.html
- https://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000735.html
- https://www.ndl.go.jp/scenery/column/kansai/osaka_army_arsenal.html
- https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/osaka_osaka_city001/index.html
- https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF140B70U3A810C2000000/
- https://www.peace-osaka.or.jp/museum/list/