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歴史の痕跡

湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる

電気や都市の水のために村ごと移転して沈んだ湖を、徳山・荘川・小河内・田子倉・早明浦・苫田・宮ヶ瀬の7つたどる。移転した戸数や完成までの年月は湖ごとに違うが、どの湖にも資料館や移植された荘川桜など、村の記憶を残す場所が岸にある。

2026-08-11 | 執筆・編集:痕跡マップ編集部
目次(8項目)

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湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 1ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 2ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 3ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 4ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 5ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 6ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 7ページ目

まんがの内容は下の本文(出典つき)をもとに構成しています。

地図でダム湖を見ると、ただの青い面に見える。

だがその青の下に、学校や役場や墓地があった湖が、日本にはいくつもある。電気のため、あるいは都市の水のために、村ごと移転して湖底に沈んだ場所だ。そうした湖を7つ、たどってみる。

徳山 — 村がまるごと、日本最大の湖に

岐阜県の旧徳山村は、ダムに沈んだ村としては規模が別格だ。466戸が集団移転して村は無人となり、1987年4月に隣の藤橋村へ編入されて廃村になった。ダムの完成は2008年。総貯水容量およそ6.6億立方メートルは日本最大で、村の主要な集落はすべてこの水の下にある。

湖畔には旧村の記憶を集めた徳山会館が建ち、旧集落を望む高台には、各集落の望郷碑が湖を向いて立っている。

徳山村の離村後、湖底に沈んだ七集落と水没を免れた門入、残された記録の関係を示した図
徳山村の離村後、湖底に沈んだ七集落と水没を免れた門入、残された記録の関係を示した図

荘川 — 湖畔に移された、樹齢450年の桜

岐阜県の旧荘川村(作品の舞台と重ねて語られることがあり、その真偽は「ひぐらしのなく頃に」の雛見沢は御母衣村がモデルかで出典をたどった)では、御母衣ダムの建設で約230戸(資料によって240戸とも)が移転した。7年に及ぶ話し合いの末に補償が妥結し、1960年にダムの本体が完成する。

この湖が広く知られているのは、桜のためだ。水没する寺にあった樹齢450年余のヒガン桜2本が、1960年12月、湖畔へ移植された。「荘川桜」と呼ばれるこの2本は移植に耐えて根づき、いまも毎年咲く。村は湖の下になったが、村にあった木が岸で咲き続けている——移転した人々にとって、これがどういう存在かは、説明するまでもないと思う。

荘川桜(光輪寺)。幹と枝に養生と支柱がかかっていた。手前の標柱に「天然記念物 荘川桜 光輪寺」とある(2026年8月27日)
荘川桜(光輪寺)。幹と枝に養生と支柱がかかっていた。手前の標柱に「天然記念物 荘川桜 光輪寺」とある(2026年8月27日)
荘川桜公園の湖畔から見た御母衣湖。水位が下がり、湖底が見えている(2026年8月27日)
荘川桜公園の湖畔から見た御母衣湖。水位が下がり、湖底が見えている(2026年8月27日)

小河内 — 東京の水になった村

東京都の旧小河内村は、東京市の水がめとして計画され、945世帯が移転した。東京都水道局によると、起工式は昭和13年(1938年)11月12日。戦争で昭和18年に工事が中止され、再開は昭和23年である。完成は1957年で、着工から19年余りが経っていた。

これが現在の奥多摩湖(小河内貯水池)だ。東京都水道局の資料には、工事で87名が殉職したことも記されている。いま東京の蛇口から出る水の一部は、村がひとつ沈んだ湖から来ている。

田子倉 — 50戸290人の、8年の交渉

福島県只見町の田子倉集落は、50戸290人の集落だった。只見町ブナセンターの資料によれば、集落は昭和34年(1959年)、首都圏への電力供給を目的とした田子倉ダムの建設で湖底に沈み、住んでいた人々は故郷を去って各地へ離散した。集落跡は田子倉湖の底にある。

只見町の資料館「ふるさと館田子倉」が、集落の自然と生活史、ダム建設の経緯を伝えている。

早明浦 — 渇水の年にだけ、現れる

高知県の旧大川村中心部は、吉野川水系の早明浦ダム建設で387世帯が移転し、湖底になった。竣工式は1973年11月、管理が始まったのは1975年4月である。建設時には反対の立て札が600本立ったと伝わる。

この湖には、他の湖にない特徴がある。渇水で水位が大きく下がった年、旧大川村役場の庁舎が湖面に姿を現すのだ。四国の水がめの水位を伝えるニュースで、湖から現れたコンクリートの建物を見たことがある人は多いと思う。あれは映像のための演出ではなく、いまも湖底に立ち続けている村の庁舎である。

苫田 — 半世紀かかった、いちばん新しい湖

岡山県の旧奥津町苫田地区は、県が吉井川総合開発事業に着手した1953年から、完成までおよそ半世紀を要した。「苫田ダム阻止」を掲げた反対運動は長く続き、水没地権者504世帯すべての移転が完了したのは2003年である。ダムの完成は2005年で、この7つの中ではいちばん新しい。

湖は「奥津湖」と名づけられた。湖畔の「みずの郷奥津湖ビジターセンター」が地区の歴史を伝えており、2025年5月にリニューアルオープンしている。

宮ヶ瀬 — 首都圏の水がめになった集落

神奈川県の宮ヶ瀬集落は、宮ヶ瀬ダムの建設で281戸が移転し、約4.6平方キロメートルが水没した。竣工式は2000年12月。いまは首都圏の水がめであると同時に、観光地として多くの人が訪れる湖になっている。湖畔には宮ヶ瀬湖畔園地が整備され、にぎわいの下に集落の記憶が沈んでいる。

記憶は、岸に置かれている

7つの湖を並べると、共通することがある。

どの湖にも、記憶の置き場所が岸にあることだ。徳山会館、ふるさと館田子倉、みずの郷奥津湖、奥多摩の「水と緑のふれあい館」。移転した人々と自治体が、村があったことを記録して岸に残している。荘川桜のように、木そのものを岸へ移した例もある。

御母衣ダムのそばの展示施設「MIBOROダムサイドパーク」
御母衣ダムのそばの展示施設「MIBOROダムサイドパーク」

湖底の村は見に行けない。だが記録は見に行ける。ダム湖を訪ねる機会があったら、展望台から水面を眺めるだけでなく、岸の資料館に寄ってみてほしい。青い水面の下にあったものの名前が、そこに書いてある。

各スポットの場所・出典・年表は、それぞれのページにまとめてある——徳山/荘川/小河内/田子倉/早明浦/苫田/宮ヶ瀬。


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旧徳山村の周りに、ほかに何が残っているか。

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参考・出典

14件出典に基づいて掲載している

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公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。

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