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歴史の痕跡

湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる

2026-08-11 | 執筆・編集:痕跡マップ編集部

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湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 1ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 2ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 3ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 4ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 5ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 6ページ目湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる まんが解説 7ページ目

まんがの内容は下の本文(出典つき)をもとに構成しています。

地図でダム湖を見ると、ただの青い面に見える。

だがその青の下に、学校や役場や墓地があった湖が、日本にはいくつもある。電気のため、あるいは都市の水のために、村ごと移転して湖底に沈んだ場所だ。この痕跡マップには現在、そうした湖が7つ載っている。北から南まで、一枚ずつたどってみる。

徳山 — 村がまるごと、日本最大の湖に

岐阜県の旧徳山村は、ダムに沈んだ村としては規模が別格だ。466戸が集団移転し、1987年に最後の住民が村を去って、村は隣の藤橋村に編入されて廃村になった。ダムの完成は2008年。総貯水容量およそ6.6億立方メートルは日本最大で、村の主要な集落はすべてこの水の下にある。

湖畔には旧村の記憶を集めた徳山会館が建ち、旧集落を望む高台には、各集落の望郷碑が湖を向いて立っている。

荘川 — 湖畔に移された、樹齢450年の桜

岐阜県の旧荘川村では、御母衣ダムの建設で約230戸(資料によって240戸とも)が移転した。7年に及ぶ反対運動の末に補償が妥結し、1961年にダムが完成する。

この湖が広く知られているのは、桜のためだ。水没する寺にあった樹齢450年余のエドヒガン2本が、1960年12月、湖畔へ移植された。「荘川桜」と呼ばれるこの2本は移植に耐えて根づき、いまも毎年咲く。村は湖の下になったが、村にあった木が岸で咲き続けている——移転した人々にとって、これがどういう存在かは、説明するまでもないと思う。

小河内 — 東京の水になった村

東京都の旧小河内村は、東京市の水がめとして1932年にダム建設が決まり、945世帯・約6,000人が移転した。着工は1936年。戦争による中断を挟んで、完成したのは1957年——計画から四半世紀が経っていた。

これが現在の奥多摩湖(小河内貯水池)だ。東京都水道局の資料には、工事で87名が殉職したことも記されている。いま東京の蛇口から出る水の一部は、村がひとつ沈んだ湖から来ている。

田子倉 — 50戸290人の、8年の交渉

福島県只見町の田子倉集落は、50戸290人の集落だった。1948年にダム計画が持ち上がり、補償交渉は8年に及んで紛糾した。1956年に妥結し、1960年に田子倉ダムが竣工。集落跡は田子倉湖の底にある。

只見町の資料館「ふるさと館田子倉」が、集落の自然と生活史、ダム建設の経緯を伝えている。

早明浦 — 渇水の年にだけ、現れる

高知県の旧大川村中心部は、吉野川水系の早明浦ダム建設で387世帯が移転し、1978年の竣工で湖底になった。建設時には反対の立て札が600本立ったと伝わる。

この湖には、他の湖にない特徴がある。渇水で水位が大きく下がった年、旧大川村役場の庁舎が湖面に姿を現すのだ。四国の水がめの水位を伝えるニュースで、湖から現れたコンクリートの建物を見たことがある人は多いと思う。あれは映像のための演出ではなく、いまも湖底に立ち続けている村の庁舎である。

苫田 — 半世紀かかった、いちばん新しい湖

岡山県の旧奥津町苫田地区は、1957年に新聞報道でダム計画が明るみに出てから、完成までおよそ半世紀を要した。「苫田ダム阻止」を掲げた反対運動は長く続き、最終的に470戸・504世帯が移転。ダムの完成は2005年で、この7つの中ではいちばん新しい。

湖は公募で「奥津湖」と名づけられた。湖畔の総合案内所「みずの郷奥津湖」が地区の歴史を伝えており、2025年にリニューアルオープンしている。

宮ヶ瀬 — 首都圏の水がめになった集落

神奈川県の宮ヶ瀬集落は、宮ヶ瀬ダムの建設で281戸が移転し、約4.6平方キロメートルが水没した。完成は2000年。いまは首都圏の水がめであると同時に、観光地として多くの人が訪れる湖になっている。湖畔には宮ヶ瀬湖畔園地が整備され、にぎわいの下に集落の記憶が沈んでいる。

記憶は、岸に置かれている

7つの湖を並べると、共通することがある。

どの湖にも、記憶の置き場所が岸にあることだ。徳山会館、ふるさと館田子倉、みずの郷奥津湖、奥多摩の「水と緑のふれあい館」。移転した人々と自治体が、村があったことを記録して岸に残している。荘川桜のように、木そのものを岸へ移した例もある。

湖底の村は見に行けない。だが記録は見に行ける。ダム湖を訪ねる機会があったら、展望台から水面を眺めるだけでなく、岸の資料館に寄ってみてほしい。青い水面の下にあったものの名前が、そこに書いてある。

各スポットの場所・出典・年表は、それぞれのページにまとめてある——徳山荘川小河内田子倉早明浦苫田宮ヶ瀬

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参考・出典

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