旧荘川村の水没集落(御母衣ダム湖底・荘川桜)|何があった場所か

七年の交渉と、湖畔へ移された二本の古桜。御母衣ダム(1961年完成)の建設で、旧荘川村の中野・海上・岩瀬・赤谷などの集落が水没した。水没地にあった樹齢450年余のエドヒガン2本は湖畔へ移植され、「荘川桜」として今も咲く。移転は7年にわたる交渉を経て1959年11月に合意に達し、桜は1960年12月に湖畔へ移された。

時のながれ
- 1952年 — 御母衣ダム建設計画が公表され、住民による反対運動が始まったとされる
- 1959年 — 補償交渉が妥結し、集落の移転が進む
- 1960年12月 — 水没予定地の光輪寺・照蓮寺にあった桜2本が湖畔へ移植される(荘川桜)
- 1961年 — 御母衣ダムが完成し、旧集落一帯は御母衣湖の湖底に
- 2026年8月 — 少雨で御母衣湖の水位が下がる。水没前の集落跡とみられる構造物が湖底に現れたとの報道があった(報道の配信は終了している)。庄川水系では8月6日の渇水情報連絡会で、水利権許可量の2割減とする取水調整を行うことが確認された
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 移転は7年にわたる交渉(反対運動としては8年と記す資料もある)を経て、1959年11月に合意に達した。水没地にあった2本の古桜は1960年12月に湖畔へ移された。
そのため、このページではこうしています
- 水没した戸数について、高山地域の資料は旧荘川村側を230戸余り・約1,200人とし、事業者側の資料は白川村側を含む文脈で240戸と記す。対象の範囲と数え方が同じか確認できず、同じものを数えた値とは言えない。
- ピンは公開されている荘川桜の園地で、水没した集落の位置そのものではない。移植された桜を通して旧集落の記憶を伝える場所である。
現地確認: 未実施
この痕跡を掘り下げた記事
- 雛見沢のモデルはどこか — 御母衣ダムと白川郷で確かめられたこと
- 御母衣ダムに沈んだ荘川村の集落 — 湖畔へ移された荘川桜の記録
- 徳山ダムで離村した徳山村はいま — 湖底に残る7集落の跡と門入
- 湖の底に、村がある — 日本の「湖底に沈んだ村」を地図でたどる
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- 荘川桜物語
J-POWER 電源開発株式会社(公式) - 御母衣ダム - ダム便覧
一般財団法人日本ダム協会 - 荘川桜 - Wikipedia
Wikipedia - 県指定・荘川桜、御母衣ダム
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ - 記者発表資料 庄川渇水情報連絡会を開催しました(令和8年8月7日・PDF)
国土交通省 北陸地方整備局 富山河川国道事務所
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :時のながれの2026年8月の取水調整の項を「2割の取水調整が行われた」から、8月6日の渇水情報連絡会で水利権許可量の2割減とする取水調整を行うことが確認された、に改めた。出典の記者発表は実施を決めたことを伝えるもので、実施済みとは記していないためだ。編集部の調査メモの「7年にわたる反対運動」も、J-POWERが7年を交渉の年数としているため「7年にわたる交渉」とし、反対運動としては8年と記す資料もあると添えた。
- :出典のうちチューリップテレビの記事(Yahoo!ニュース配信・2026年8月10日)が配信を終え、読めなくなっていたため外した。同じ内容の恒久的な掲載先は見つからなかった。これに拠っていた年表の2026年8月の記述を、集落跡とみられる構造物は「報道があった(配信は終了)」という書き方に改め、「記録的な」を外した。
- :説明文に、調査メモにある、移転の合意と桜の移植の年月を足した。
この場所について
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