田子倉集落の水没地(田子倉ダム・田子倉湖底)|何があった場所か
昭和35年(1960)竣工の田子倉ダム建設に伴い、50戸290人が暮らした田子倉集落が移転し、集落跡は田子倉湖の湖底にある。現在、訪れることはできない。集落の自然と生活文化の記録は、只見町の資料館「ふるさと館田子倉」が伝えている。
時のながれ
- 昭和23年(1948) — 田子倉ダム建設の説明会が行われる。50戸290人の田子倉集落は以後、移転補償の交渉に入る。
- 昭和31年(1956) — 足掛け8年の交渉を経て全戸の移転補償が妥結。住民は只見町内や県内外へ移転した(ダム建設に伴う移転)。
- 昭和35年(1960) — 田子倉ダムが竣工。集落跡は田子倉湖の湖底となった。
- 現代 — 只見町中心部の「ふるさと館田子倉」が、集落の自然環境・生活文化・ダム建設の経緯を後世に伝えている。田子倉湖は越後三山只見国定公園に含まれる。
近くの痕跡
- 旧小河内村の水没集落(小河内ダム・奥多摩湖底)(水の痕跡・約167.4km)
- 「池袋」地名の由来(丸池・元池袋史跡公園)(地の痕跡・約176.3km)
- 巣鴨プリズン跡(東池袋中央公園)(死の痕跡・約176.4km)
- 「鐘ヶ淵」の地名由来(隅田川に沈んだ鐘の伝承)(水の痕跡・約177.3km)
参考・出典
- 田子倉ダム
Wikipedia(『日本の多目的ダム』『電発30年史』等の脚注付き) - ふるさと館田子倉|田子倉集落の記憶を伝える資料館
ぐるっと会津(会津地域情報ポータル) - 田子倉ダム・田子倉湖
只見町インフォメーションセンター