旧小河内村の水没集落(小河内ダム・奥多摩湖底)|何があった場所か
首都の水がめのために945世帯が移転した。東京都水道局が「我が国最大級の水道専用貯水池」と記す小河内ダム(1957年完成)の建設によるもので、旧小河内村の中心部は奥多摩湖の底にある。湖畔の東京都水道局の展示施設「奥多摩 水と緑のふれあい館」が、湖底に沈んだ村の歴史を伝える。

近くの痕跡
- 八王子城跡(天正18年、一日で落ちた北条氏照の山城)(戦の痕跡・約25.4km)
- 滝山城跡(永禄12年、武田信玄の攻撃をしのいだ北条氏照の城)(戦の痕跡・約28.6km)
時のながれ
- 1932年(昭和7) — 東京市の水源としてダム建設計画が決定し、集落の移転交渉が始まったとされる
- 1938年(昭和13)11月 — 小河内ダムの建設が始まる(東京都水道局。ダム便覧の一覧表は着工を1936年とする)。戦争により昭和18年に中断し、昭和23年に再開する
- 〜1950年代 — 945世帯が移転する(大多数は旧小河内村の村民だったとダム便覧は記す)
- 1957年(昭和32)11月 — 小河内ダムが完成し、旧集落一帯は奥多摩湖(小河内貯水池)の湖底に
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 移転945世帯は、東京都水道局の公式とダム便覧の双方で確認した。その大多数は旧小河内村の村民だったとダム便覧は記す。
- 工事中に87名が亡くなっている。慰霊碑があり、1953年3月に碑の前で慰霊式が行われ、碑の裏に殉職者名が刻まれているとダム便覧は記す。
そのため、このページではこうしています
- ピンは旧小河内村の中心部付近にあたる湖面上の推定地点である。湖畔の半島には、移転先の小河内神社が現存する。
現地確認: 未実施
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
2件出典に基づいて掲載している
- 小河内貯水池(奥多摩湖)|東京水道名所
東京都水道局(公式) - 小河内ダム - ダム便覧
一般財団法人日本ダム協会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :説明文・時のながれ・編集部の調査メモの5か所を改めた。主な変更は、出典に無い「約6,000人」と「水没集落として国内最大級」を外して945世帯が移転したとしたこと、「一部は山梨県の丹波山村・小菅村」も出典に無いため、大多数は旧小河内村の村民だったとダム便覧が記す、としたことだ。慰霊碑の位置「ダム展望塔の付近」も出典に無いため外した。着工は東京都水道局の記す昭和13年(1938)11月とし、ダム便覧の一覧表は1936年とすると添えた。
この場所について
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