滝山城跡(永禄12年、武田信玄の攻撃をしのいだ北条氏照の城)|何があった場所か
八王子市の丹木町・高月町・加住町にまたがる加住北丘陵の上に、北条氏照が居城とした滝山城の跡がある。多摩川と秋川の合流点の南で、多摩川に面する北東側は急な崖になっている。市の文化財保存活用地域計画は、大永元年(1521)に大石定重が築いたといわれ、大石氏の養子となった氏照が城主となり、大きな空堀や馬出は氏照の時代に大改修されたと記す。永禄12年(1569)に武田信玄の攻撃を受けたが、氏照が指揮を執って防いだ。地域計画は二の丸まで攻められたと記し、同年10月24日付の書状には、氏照が城下の「宿三口」へ軍勢を出して武田軍と戦ったことが書かれている。
市によれば、戦いの詳細は『甲陽軍鑑』などの軍記物が伝えるのみで、実際にどの程度の戦闘があったかは定かでない。『甲陽軍鑑』には、氏照が二の丸の門に上って指揮し、武田勝頼が三度攻め寄せたという逸話が記されている。十数年後、氏照は新たに築いた八王子城へ居城を移し、横山・八日市・八幡の宿の名も移転後に受け継がれた。八王子城は天正18年(1590)に落城している。昭和26年(1951)6月9日に国の史跡に指定され、指定面積は374,498.97平方メートル。いまは都立自然公園として整備されている。

近くの痕跡
- 八王子城跡(天正18年、一日で落ちた北条氏照の山城)(戦の痕跡・約7.9km)
- 道了堂跡(明治7年、鑓水の生糸商人が絹の道の峠に建てたお堂)(地の痕跡・約8.8km)
- 狭山湖(山口貯水池の建設で湖底になった勝楽寺の村)(水の痕跡・約10.1km)
- 多摩湖(村山貯水池の建設で湖底になった宅部の谷の村)(水の痕跡・約11.9km)
時のながれ
- 大永元年(1521) — 大石定重が築いたといわれる。
- 永禄12年(1569) — 武田信玄の攻撃を受け、氏照が指揮を執って防ぐ。10月24日付の書状に宿三口での戦いが書かれる。
- 天正18年(1590) — 居城を移した先の八王子城が落城する。
- 1951年 — 6月9日、国の史跡に指定される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 八王子市は、永禄12年(1569)に武田信玄の攻撃を受け氏照が指揮を執って防戦したこと、指定年月日が昭和26年6月9日、指定面積が374,498.97平方メートルであることを記す。国指定文化財等データベースも指定年月日を1951年6月9日と記す。
- 市の文化財保存活用地域計画は、永禄12年10月24日付の書状に氏照が「宿三口」へ軍勢を出して戦ったと書かれていること、城下に横山・八日市・八幡の宿があり、その名が八王子城への移転後も継承されたことを記す。
そのため、このページではこうしています
- ピンは八王子市の滝山城跡のページが地図に示す地点。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 戦闘の規模は、八王子市が『甲陽軍鑑』などの軍記物が伝えるのみで定かでないとしている。二の丸の門での逸話は軍記物の記述である。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
この場所について
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