旧真田山陸軍墓地|何があった場所か
明治初期(1871年)に設けられた、日本で最も古い時期の陸軍墓地。西南戦争から太平洋戦争までの軍人・軍属のほか、軍役夫や外国人捕虜なども含む墓碑が数千基並ぶ。正門入口は宰相山西公園側(墓地北側)。

近くの痕跡
- 真田丸出丸跡(天王寺区餌差町周辺)(戦の痕跡・約290m)
- 三光神社「真田の抜け穴」(戦の痕跡・約323m)
- 「玉造」地名(玉作部の居住地伝承)(地の痕跡・約724m)
- 猫間川跡(玉造稲荷神社の猫間川川浚碑)(水の痕跡・約730m)
時のながれ
- 明治期 — 1870年(明治3年)12月、大阪府が弁官へ伺いを立て、翌1871年(明治4年)4月に日本最初の陸軍墓地として真田山の地に成立。
- 明治〜昭和(戦前) — 西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦の戦死者・病死者(軍役夫や清国兵・ドイツ兵捕虜の病死者も含む)が埋葬され、現在5,100基以上の墓碑と、8,200余体の遺骨を納める納骨堂が残る。
- 1946年〜現代 — 昭和21年(1946年)から大阪市が国との無償貸付契約に基づき維持管理を実施。近年は老朽化が課題となり、公益財団法人真田山陸軍墓地維持会が保存活動を継続中。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市の公式と、維持会の公式で、設置年と埋葬数を確認した。
- 納骨堂(遺骨を安置する部屋・参拝室)の利用条件は、確認した維持会の公式ページ(墓地について/見学のご案内・アクセス)には記載がない。訪問前に維持会へ確認してほしい。
- 定期の案内会はNPO法人が毎月第4日曜日(1月・7月・12月を除く)の13時30分から行っている。
そのため、このページではこうしています
- 墓碑は和泉砂岩製で、風化による亀裂や剥離が進んでいる。触れない、寄りかからない、物を置かない、という配慮をお願いしたい。
- 開催日程などは変わることがあるため、公式サイトでの確認をすすめる。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 一般の見学者に向けた開門時間は、確認した公式ページでは特定できなかった。訪問前に維持会へ確認してほしい。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 旧真田山陸軍墓地 - 大阪市
大阪市 - 墓地について | 公益財団法人 真田山陸軍墓地維持会
公益財団法人 真田山陸軍墓地維持会 - 見学のご案内・アクセス | 公益財団法人 真田山陸軍墓地維持会
公益財団法人 真田山陸軍墓地維持会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :編集部の調査メモから、納骨堂の部屋への入室は遺族に限られ7日前までの連絡が要る、という記述を削った。維持会の公式ページを確かめたが、こうした利用条件の記載が見つからなかったためだ。代わりに、利用条件は公式ページに記載が無く、訪ねる前に維持会へ確かめてほしいと書いた。
この場所について
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