真田丸出丸跡(天王寺区餌差町周辺)|何があった場所か
大坂冬の陣(1614年)で真田信繁(幸村)が築いた出丸「真田丸」の推定地。2016年のレーダー探査・発掘調査(大阪文化財研究所)で補強された明星学園周辺が有力とされる。
時のながれ
- 1614 — 大坂冬の陣にて真田信繁(幸村)が大坂城南東の出丸「真田丸」を築き、徳川方と激戦を展開したとされる。
- 2015-2016 — 天王寺区が大阪明星学園と協定を締結し、2016年2月にテニスコート東側(餌差町5-44)に真田丸顕彰碑を設置。同年、大阪文化財研究所のレーダー探査・発掘調査で堀跡とみられる地下の落ち込みが確認された。
- 現代 — 大阪明星学園(天王寺区餌差町)周辺が真田丸推定地として天王寺区公式・専門家コラムの双方で紹介されている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 天王寺区の公式ページと大阪文化財研究所のコラムで確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 出丸の正確な範囲と規模については研究者の間で諸説が残っており、確定していない。
参考・出典
- 大坂の陣最大の激戦地 真田幸村が築いた真田丸の地に「真田丸顕彰碑」を設置しました
大阪市天王寺区役所(自治体公式) - 真田丸の具体像に迫る(豊臣石垣コラム Vol.27)
大阪城天守閣/市川創(大阪文化財研究所)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
このスポットが登場するテーマ
- 大坂の陣を歩く — 真田丸から幸村終焉の地まで② 冬の陣・真田丸の戦い(1614)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 旧真田山陸軍墓地(戦の痕跡・約290m)
- 三光神社「真田の抜け穴」(戦の痕跡・約322m)
- 「玉造」地名(玉作部の居住地伝承)(地の痕跡・約568m)
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