「玉造」地名(玉作部の居住地伝承)|何があった場所か
古代に勾玉などを作った玉作部(たまつくりべ)が住んだ地であることが地名の由来とされる。一帯は「玉作岡」と呼ばれたと伝わり、大阪市の紹介ページや複数の地名辞典が同じ由来説を載せている。
時のながれ
- 古代 — 勾玉などを製作した玉作部の居住地と伝わり、一帯は「玉作岡」と呼ばれたという
- 平安初期 — 「上宮聖徳太子伝補闕記」に「玉造之東岸上」の記述があるとされる(日本歴史地名大系)
- 近世以降 — 玉造稲荷神社が大坂城三の丸の鎮守として崇敬を受けたと伝わり、勾玉ゆかりの社として現在に続く
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市の「歴史の散歩道」に「この付近は古代勾玉などをつくった玉作部の居住地ともいう」と明記されている。辞典類も同じ説を載せている。
そのため、このページではこうしています
- ピンは玉造稲荷神社の位置である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 「ともいう」という表現のとおり、伝承を含む由来説である。玉作部の居住を示す考古学的な裏づけは確認していない。
参考・出典
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 猫間川跡(玉造稲荷神社の猫間川川浚碑)(水の痕跡・約6m)
- 三光神社「真田の抜け穴」(戦の痕跡・約423m)
- 城東練兵場跡(森之宮)(戦の痕跡・約549m)
- 真田丸出丸跡(天王寺区餌差町周辺)(戦の痕跡・約568m)
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 玉造稲荷神社(玉造清水・利休井)玉造の名を今に伝える社。境内に湧水の跡が残る。