道頓堀川(1615年開削の運河)|何があった場所か

道頓(長く安井道頓と伝えられてきたが、学術的には成安道頓とする説が有力)らが私財を投じて開削したと伝わる運河で、1612年着工・1615年完成。埋め立てを免れて今も都心を流れる「生きている堀川」。名は開削者に由来する。
時のながれ
- 1612年(慶長17年) — 開削工事に着手(新川奉行に任命された成安道頓の指揮。安井治兵衛・平野藤次郎らが協力)。
- 1615年(元和元年・大坂夏の陣直後) — 松平忠明の命で安井道卜らが工事を引き継ぎ、同年11月に運河完成。
- 1965〜1976年(昭和40〜51年) — 「道頓堀川裁判」で古文書鑑定が行われ、開削の実質的な責任者は通説の「安井道頓」ではなく「成安道頓」であったとする説が有力と判断された。
- 現代 — 埋め立てを免れ、東横堀川と木津川を結ぶ延長約2.7kmの一級河川として現存。周辺は劇場街として発展した。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 完成年(1615年)は大阪市の公式ページで確認した。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 開削者は長らく安井道頓と語られてきたが、1965年から1976年にかけての「道頓堀川裁判」を経て、成安道頓とする説が学術的に有力視されるようになった。資料により説明が異なるのは、この研究史の変化による。
参考・出典
- 道頓堀川について - 大阪市
大阪市(建設局) - ここまで知らなかった!なにわ大坂をつくった100人=足跡を訪ねて=
関西・大阪21世紀協会 - 道頓堀 - Wikipedia
Wikipedia(安井家文書等の一次資料を脚注で参照)
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