「難波」地名の由来(難波津・波速説・魚庭説の諸説併存)|何があった場所か
大阪の古称「なにわ」は難波・浪速・浪華などと表記され、語源には『日本書紀』由来の波速(浪の速い海)説や魚庭(魚の豊かな海)説など諸説あるとされる。現在の繁華街「なんば」はこの読みが音変化したものとされる。
時のながれ
- 古代(記紀の時代) — 『日本書紀』神武天皇即位前紀に、潮流の速さから「浪速(なみはや)」と名付けたとする記述があるとされる(波速説の典拠)。ほかに魚(な)の庭=魚庭説など諸説が併存する。
- 飛鳥〜奈良時代 — 上町台地西麓の「難波津」(推定地は現・中央区の旧三津寺町付近とされる)が大陸との外交・交易の玄関口として機能したとされる。
- 1925年(大正14年) — 大阪市の第2次市域拡張で浪速区が誕生。区名は王仁が詠んだと伝わる古歌「浪速津に咲くやこの花…」に由来するとされる。
- 現代 — 「なにわ」の音変化とされる「なんば」が、中央区・浪速区にまたがる南海難波駅周辺の繁華街の名として定着している。
備考
波速説は『日本書紀』神武天皇即位前紀の記述に基づくが、NDLレファレンス事例では大阪湾の潮流から疑問視する見解も紹介されており断定不可。魚庭説の初出は松岡静雄『日本古語大辞典 語誌篇』(1929)とされる(大阪府立中之島図書館回答)。古代難波津の推定地は旧南区三津寺町付近とされるが津の位置自体に諸説あり。既存スポット「上町台地・難波宮跡」とは切り口を分け、地名語源にフォーカス。
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近くの痕跡
- 千日デパート火災の地(死の痕跡・約161m)
- 道頓堀川(1615年開削の運河)(地の痕跡・約301m)
- 千日前に語られる噂(噂の痕跡・約379m)
- 千日前 刑場・墓所跡(死の痕跡・約476m)
参考・出典
- 浪速区 区のおいたち(大阪市浪速区役所)
- 「なにわ」の語源の一説に「魚庭(なにわ)」があると広辞苑にある。この説の出典について知りたい。(レファレンス協同データベース(国立国会図書館/回答: 大阪府立中之島図書館))
- 難波(ナニワ)とは? 意味や使い方(コトバンク(日本大百科全書ほか))