化野(嵯峨野の葬送地と化野念仏寺・西院の河原)|何があった場所か
嵯峨野の奥に広がる化野は、平安期以来の葬送の地とされる。「あだし」ははかなさを意味すると伝わり、化野念仏寺の西院の河原には約8000体の石仏・石塔が安置され、毎年8月に千灯供養が営まれている。
時のながれ
- 平安時代 — 化野は鳥辺野などと並ぶ京の葬送の地とされ、風葬が行われたと伝わる。約1200年前、弘法大師空海が埋葬された人々を祀るため五智山如来寺を開創したのが化野念仏寺の始まりとされる。
- 鎌倉時代 — 浄土宗の開祖・法然上人が常念仏道場としたと伝わり、のちに念仏寺と改められたとされる。
- 鎌倉時代末期(14世紀前半) — 兼好法師『徒然草』第7段に「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば…」と記され、化野の露は人の世のはかなさの象徴として文学に定着した。
- 江戸時代(1711年・正徳2年) — 寂道上人により本堂が再建された(京都市観光協会の解説による)。
- 明治中期 — 化野一帯に葬られた人々の無縁仏(石仏・石塔)が地元の人々の手で集められ、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえた配列で境内の「西院の河原」に安置された。
- 現代 — 毎年8月最終土曜・日曜の夕刻、西院の河原の約8000体の石仏・石塔に灯明を捧げる千灯供養が営まれ、嵯峨野の夏の風物詩となっている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- あだし野念仏寺の公式サイトで、化野が平安期以来の葬送の地とされること、毎年8月に千灯供養が営まれることを確認した。
- 京都観光Navi(京都市観光協会)の寺院ページと行事ページで、寺の由緒、西院の河原に約8000体の石仏・石塔が安置されていること、千灯供養(8月最終土・日曜)の内容を確認した。
- 徒然草第7段「あだし野の露消ゆる時なく」の本文で、化野が古くから無常の象徴として描かれてきたことを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 西院の河原は無縁仏を供養する聖域のため、撮影の可否は現地の案内に従う旨を案内している。周辺は嵯峨鳥居本の伝統的建造物群保存地区と住宅地のため、生活への配慮も併せて案内している。
現地確認: 未実施
参考・出典
- あだし野念仏寺 公式サイト
あだし野念仏寺(華西山東漸院念仏寺) - あだし野念仏寺|京都観光Navi
京都市観光協会(京都市公式) - 千灯供養【あだし野念仏寺】|京都観光Navi
京都市観光協会(京都市公式) - 徒然草 第7段「あだし野の露消ゆる時なく」(本文・注釈)
山梨県立大学 教員サイト(補助資料)
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この痕跡を掘り下げた記事
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