住吉行宮跡(正印殿跡・後村上天皇崩御の地)|何があった場所か

南北朝時代、南朝の後村上天皇が行宮(仮の御所)を置いた地。住吉大社の旧祠官・津守氏の居館「正印殿」の一部にあたる。天皇は正平23年(1368)にこの行宮で崩御したと、現地の説明板(文部省・昭和16年)は記す。いまは住宅街の中に石柱と説明板が残る。
時のながれ
- 正平7年(1352)2月28日 — 後村上天皇が賀名生の行宮から到着し、津守国夏の館(正印殿)を御座所と定めたと説明板は記す。
- 同年 閏2月15日 — この日まで滞在したとされる。
- 正平15年(1360) — 観心寺の行宮から再びこの地へ行幸したとされる。
- 正平23年(1368)3月11日 — この行宮で崩御したと説明板は記す。
- 明治元年(1868)4月20日 — 明治天皇が住吉神社へ行幸した際、正印殿で小休止したと説明板は記す。
- 昭和16年(1941)3月11日 — 文部省が現地に説明板を設置。
現地の写真



編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 現地の説明板(文部省・昭和16年3月11日)を確認した。住吉大社の旧祠官である津守氏の居館「正印殿」の一部であること、後村上天皇が正平7年(1352)2月28日に賀名生の行宮から到着し、津守国夏の館を御座所と定めたこと、閏2月15日まで滞在したこと、その後正平15年(1360)に観心寺の行宮から再び行幸し、正平23年(1368)3月11日にこの行宮で崩御したことが記されている。
- 同じ説明板は、明治元年(1868)4月20日、明治天皇が住吉神社へ行幸した際に正印殿で小休止したことも記す。
- 説明板が建てられた昭和16年3月11日は、説明板が崩御の日とする3月11日と同じ月日にあたる。
そのため、このページではこうしています
- 敷地は住宅街の中にあり、隣接する民家と地続きである。見学の際は周囲の生活に配慮すること。
- 座標は石柱と説明板の位置で、写真の位置情報による実測値である。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 説明板以外の一次史料(南朝側の記録など)には到達していない。年月日はいずれも説明板の記述による。
参考・出典
- 現地説明板「説明」(住吉行宮跡)
文部省(昭和16年3月11日・現地掲示。2026-08-14 撮影確認)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
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