住吉高燈籠(かつての海岸線を示す灯台跡)|何があった場所か

住吉大社への献燈として建てられ、その光が海路を照らして灯台の役目を果たしたと伝わる燈籠。もとの高燈籠はここより約200m西にあり、戦後の台風と道路拡張で失われた。現在の建物は昭和49年に復元されたもの。周囲はすべて市街地で、海は見えない。
時のながれ
- いつの頃にか(刻銘板) — 白砂青松の海浜であったこの一帯に、住吉の御社への献燈として高燈籠が建てられたと刻銘板は記す。
- 寛政年間 — 『摂津名所図会』に、闇夜に方角を失った夜走りの船の頼りになった旨が記されているという(刻銘板による引用)。
- 戦後 — 台風により木造の上部が解体される。
- 昭和47年(1972) — 道路拡張のため、旧高燈籠の基壇の石積も撤去された。
- 昭和49年(1974)10月 — 住吉名勝保存会が寄附を集め、旧位置より約200m東にあたる現在地へ復元した。
現地の写真



編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 現地の刻銘板「高燈籠復元の記」(財団法人 住吉名勝保存会・昭和49年10月)を確認した。昔このあたりが白砂青松の海浜であったこと、住吉の御社への献燈のために建てられた燈籠のうち最高最大のものであったこと、その光が海路を照らし舟人の目当てとなって燈台の役目を果たしたことが記されている。
- 同じ刻銘板は、寛政年間の『摂津名所図会』に高燈籠が夜走りの船の頼りになった旨の記述があること、旧高燈籠がここより約200m西にあったこと、戦後の台風で木造の上部が解体され、昭和47年には道路拡張のため基壇の石積も撤去されたことを記す。
- 現在の建物は、住吉名勝保存会が有志の寄附を集め、大阪府市の援助を得て昭和49年に住吉公園のこの地へ復元したものであると刻銘板は記す。
そのため、このページではこうしています
- 現在地は住吉公園の南西の外側で、道路を挟んだ位置にある。公園内を探しても見つからない。
- 座標は現在の復元建物の位置で、写真の位置情報による実測値である。旧位置とは異なる。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 建立年そのものは刻銘板に明示されておらず、「いつの頃にか」と記されている。
- 旧位置の正確な座標は確認できていない。刻銘板の「二百メートル西」という記述による。
参考・出典
- 現地刻銘板「高燈籠復元の記」
財団法人 住吉名勝保存会(昭和49年10月・現地掲示。2026-08-14 撮影確認)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
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⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 住吉大社(すみよっさん)この燈籠は、この社への献燈として建てられたと伝わる。
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