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歴史の痕跡

池袋に昔何があったのか — サンシャインシティの土地は巣鴨刑務所の跡地

サンシャインシティと東池袋中央公園の一帯は監獄の跡地だ。1895年に監獄がこの地へ移り、巣鴨刑務所を経て1937年からは東京拘置所、戦後はGHQに接収されて「スガモプリズン」と呼ばれた。1971年に拘置所が小菅へ移り、跡地に1978年サンシャイン60が開業した。

2026-09-15 | 執筆・編集:痕跡マップ編集部
目次(6項目)

「池袋のあのあたりは、昔なんだったのか」。答えは資料にはっきり書いてある。サンシャインシティと東池袋中央公園がある一帯は、監獄の跡地だ。

豊島区は、東池袋中央公園の案内でこう書いている。

巣鴨刑務所跡地の再開発事業により、サンシャイン60などのビルとともに公園が造られました。

この施設は戦後の一時期、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて「スガモプリズン」と呼ばれた。1971年に東京拘置所が葛飾区小菅へ移り、その跡地に建ったのがサンシャインシティである。サンシャイン60の開業は1978年4月。

池袋へ移ってきたのは1895年

矯正図書館(公益財団法人矯正協会)が公開している「刑務所拘置所変遷図 東京編」は、東京の監獄・刑務所・拘置所が名前を変えていく過程を一枚の図にしたものだ。参考文献には国立公文書館デジタルアーカイブの太政類典や『刑務所総覧 昭和7年』が挙がっている。この図をたどると、起点は池袋ではない。

図が引く線の始まりは、寛政2年(1790)の石川島人足寄場である。石川島徒場、石川島懲役場、石川島監獄署と名を変え、明治24年(1891)に「警視庁監獄石川島支署」となる。そして、

(M28・1895)移転改称 警視庁監獄巣鴨支所(豊島区東池袋)

と図は記す。石川島の寄場と池袋の監獄を、変遷図は一本の線で結んでいる。開設から105年かけて、この施設は池袋へ移ってきたことになる。同じ図の江戸期の欄には、慶長期からの伝馬町牢屋敷も並んでいる。

この土地に置かれた施設の名前は、変遷図のうえでこう変わっていく。

年変遷図の記載
1895年(明治28)移転改称 警視庁監獄巣鴨支所(豊島区東池袋)
1897年(明治30)改称 巣鴨監獄署
1903年(明治36)改称 巣鴨監獄
1922年(大正11)改称 巣鴨刑務所
1923年(大正12)震災大破
1935年(昭和10)移転改称 府中刑務所(府中市晴見町)
1937年(昭和12)移転改称 東京拘置所(巣鴨刑跡地)
年の記載なし接収 スガモプリズン
1952年(昭和27)返還改称 巣鴨刑務所
1962年(昭和37)巣鴨刑務所 廃止
1971年(昭和46)移転 東京拘置所(旧小菅刑跡地)

1935年から1937年にかけて、この土地では施設が入れ替わる。巣鴨刑務所そのものは府中へ移って府中刑務所になり、空いた敷地へ今度は市谷刑務所が移ってきて「東京拘置所」と名を変えている。豊島区が「巣鴨刑務所跡地」と書き、サンシャインシティが「東京拘置所跡地」と書くのは、同じ土地の別の時期を指しているためだ。

変遷図に接収の年の記載はない。イミダス(集英社)はこの部分を補っていて、1945年9月にGHQが接収し、同年11月に「巣鴨プリズン」となったこと、1948年12月23日にA級戦犯7人の絞首刑がこの場所で執行されたことを記している。

この土地に置かれた施設の名前の移り変わりを、1895年の警視庁監獄巣鴨支所から1980年の公園竣工まで年表にした図
この土地に置かれた施設の名前の移り変わりを、1895年の警視庁監獄巣鴨支所から1980年の公園竣工まで年表にした図

住所が「西巣鴨」から「東池袋」になったのは1966年

池袋にある施設が「巣鴨」を名乗っていたのは、住所の話である。一般財団法人ニッポンドットコムの記事は、こう書いている。

この地は「豊島区西巣鴨」だったが、1966年に「住居表示に関する法律」が施行されると「東池袋」に変更となった。

施設の名前は、土地の旧い町名から来ていた。町名のほうが先に消えた形になる。

移転が決まってから開業まで20年

再開発の側の年表は、株式会社サンシャインシティが自社の沿革として公開している。

年月沿革の記載
1958年2月東京拘置所の早期移転が閣議了解される
1958年7月首都圏整備委員会において池袋副都心構想固まる
1966年10月株式会社新都市開発センター設立(資本金16億円)
1967年2月国と当社の間で「国有財産売払い及び購入契約」を締結
1971年4月建築等価交換方式により東京拘置所跡地の取得を完了
1973年7月工事着工
1977年6月「サンシャインシティ」公募により命名
1978年4月「サンシャイン60」(展望台他)開業
1980年6月「サンシャイン公園(現 東池袋中央公園)」竣工

移転が閣議で了解された1958年2月から、土地の取得が完了する1971年4月まで13年。開業までなら20年かかっている。名前が公募で決まったのは1977年6月で、着工から4年目のことだった。公園の名前も、はじめは「サンシャイン公園」だった。

いま何があるか — 東池袋中央公園

豊島区の公式ページによると、東池袋中央公園の所在地は東池袋3-1-6、面積は5,993.61平方メートルで、「国有地の無償貸付を受けています」と添えられている。開園は昭和55年(1980)6月。サンシャインシティの沿革にある公園竣工の年月と一致する。

園内には石碑が一つある。ニッポンドットコムの記事は「処刑場跡地の公園の一画に『永久平和を願って』と彫られた石碑が建っている」と書き、これが戦犯として処刑された人たちの慰霊碑であると説明している。

この碑の由来を、豊島区の資料では確かめられなかった。区の公園ページに碑の記載はなく、平和推進事業のページが挙げる区内の記念碑・記念樹——池袋西口公園の「平和の像」、南池袋公園の「哀悼の碑」と被爆アオギリ2世、中池袋公園の被爆クスノキ2世、イケ・サンパークの円盤投げの像——の中にも、この碑は出てこない。

位置と資料は「巣鴨プリズン跡(東池袋中央公園)」のページにまとめてある。

「池袋」という地名のほうは、駅の西側の池から

ここまでは駅の東側の話だ。地名そのものの由来は、反対側にある。

豊島区は元池袋史跡公園の案内でこう書いている。

かつて、この付近にあった丸池は弦巻川の源流として清らかな水が湧き出していました。丸池は「池袋」の地名となったとも言われています。

丸池はもう無い。跡地の近くに平成10年(1998)4月に開園した元池袋史跡公園(西池袋1-9-12、面積167.98平方メートル)に、「池袋地名ゆかりの池」の碑が置かれている。区の文は「なったとも言われています」で止まっている。詳しくは「「池袋」地名の由来(丸池・元池袋史跡公園)」のページに整理した。

池袋駅をはさんで、東側の東池袋中央公園と西側の元池袋史跡公園がそれぞれ何の跡地かを示した図
池袋駅をはさんで、東側の東池袋中央公園と西側の元池袋史跡公園がそれぞれ何の跡地かを示した図

資料で確かめられたのはここまで

土地の履歴を自分でたどる手順は「土地に昔何があったか調べる方法」にまとめてある。


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巣鴨プリズン跡の周りには、豊島区の痕跡が2件ある。

豊島区の痕跡 2件をひらく →

参考・出典

8件出典に基づいて掲載している

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公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。

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