巣鴨プリズン跡(東池袋中央公園)|何があった場所か
明治期の巣鴨監獄、戦後はGHQに接収され巣鴨プリズンと呼ばれた施設があった場所。1948年、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた7名の刑がこの地で執行された。跡地はサンシャインシティ等に再開発され、公園には「永久平和を願って」の碑が立つ(建立年は資料により1978年・1980年と分かれる)。

近くの痕跡
- 「池袋」地名の由来(丸池・元池袋史跡公園)(地の痕跡・約915m)
- 寛永寺と江戸城の鬼門封じ(方位の痕跡・約5.1km)
- 平将門の首塚(将門塚)(死の痕跡・約6.2km)
- 旧岩淵水門(荒川放水路と隅田川を分けた大正の赤い水門)(水の痕跡・約6.4km)
時のながれ
- 1895年(明治28) — 警視庁監獄巣鴨支署が設置され、後に巣鴨監獄と改称される
- 1945年(昭和20) — GHQに接収され「巣鴨プリズン」と呼ばれる
- 1948年(昭和23)12月 — 極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた7名の刑がこの地で執行される
- 1971年(昭和46) — 東京拘置所が移転し、跡地はサンシャインシティ等として再開発される
- 1980年(昭和55)6月 — 東池袋中央公園が開園する。「永久平和を願って」の碑の建立年は資料により1978年・1980年と分かれる
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 豊島区の公式の公園ページで、1980年6月の開園であること、面積、国有地の無償貸付であることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- BC級を含む刑執行者の数は、資料によって差があり確定していない。
- 刑の執行に関する記述は、公的資料と碑文で確認できる範囲にとどまる。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 区の公式ページには、刑の執行についての記述がない。その裏づけは、報道が引用する現地の碑文(背面に「東京国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された」と刻まれ、報道の転記では末尾の年月は「昭和五十三年 六月」)に依る。
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 東池袋中央公園
豊島区(公式) - 東池袋中央公園 - Wikipedia
Wikipedia - 巣鴨プリズン跡の碑(報道)
TBS NEWS DIG
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :まだ分かっていないことの碑文の引用を、出典の報道が転記する原文どおりに改め、末尾の年月は報道の転記では昭和53年6月だとした。以前の引用の文言と「昭和55年6月の建立」は、引いている報道と一致しなかったためだ。説明文の「1980年建立」も、資料により1978年・1980年と分かれる、とした。
- :時のながれの「1979-1980年 東池袋中央公園が開園し、碑が建立される」を改めた。公園の開園は1980年(昭和55)6月とし、「永久平和を願って」の碑の建立年は資料により1978年・1980年と分かれる、と書き分けた。開園と碑の建立を一つの年にまとめていたためだ。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。