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歴史の痕跡

東京の牢屋敷・監獄跡|小伝馬町から巣鴨プリズン、小菅まで、今の地図でたどる

江戸の伝馬町牢屋敷は今の十思公園(中央区日本橋小伝馬町)の一帯、人足寄場は佃の石川島にあった。明治以降、牢と監獄は鍛冶橋・市谷・巣鴨・小菅へ移り、巣鴨の跡地はサンシャインシティと東池袋中央公園に、小菅は今の東京拘置所になっている。

2026-11-05 | 執筆・編集:痕跡マップ編集部
目次(6項目)

江戸の牢屋敷は日本橋小伝馬町(今の十思公園の一帯)、無宿人の授産施設だった人足寄場は隅田川河口の石川島(今の中央区佃)にありました。明治になると、牢と監獄は鍛冶橋(東京駅の南)、市谷、巣鴨(今のサンシャインシティ)、小菅へと移り、昭和46年(1971)に小菅の東京拘置所へ落ち着きます。

江戸の牢屋敷と人足寄場

伝馬町牢屋敷は、中央区の文化財ページによると、常盤橋御門外の本町一丁目(今の日本橋本石町二丁目)に置かれ、慶長年間(1596〜1615)に小伝馬町へ移されたと伝わります。範囲はおおむね今の十思公園・十思スクエア・大安楽寺・身延別院を含む一帯で、総坪数は2,600坪(8,595平方メートル)以上。敷地の北半分に練塀で囲まれた牢があり、通常300〜400人を収容していました。西側の表門は大伝馬塩町に、東側の裏門は小伝馬上町に面し、南西の一角に囚獄(牢屋奉行)石出帯刀の屋敷(約480坪)がありました(資料確認済み:中央区)。明暦の大火(1657)の後も同じ場所で建て直され、明治8年(1875)に市谷へ移るまで、この場所にあり続けました(資料確認済み:中央区・法務省)。東京都の旧跡に指定されており、所在地は日本橋小伝馬町3・4・5です。平成24年(2012)の十思スクエア別館の工事では神田上水の木樋や井戸が出土し、一部が現地に移築復元されています(資料確認済み:中央区)。

十思公園には石町時の鐘(都指定文化財・工芸品)もあります。もとは本石町三丁目にあった江戸の時の鐘で、銘文から宝永辛卯(1711)の改鋳とされ、関東大震災の後に移管され(区のページの表記は「東京都へ移管」)、復興小公園として整備された今の十思公園の鐘楼に納まりました(資料確認済み:中央区)。「牢屋敷の刑の執行時刻を知らせた」という話は観光記事に見られますが、区の文化財ページには書かれていません(噂・未確認)。

石川島人足寄場は、国立公文書館の資料解説によると、火付盗賊改の長谷川平蔵の構想が老中松平定信に採用され、石川大隅守の屋敷裏の低湿地16,000坪に寛政2年(1790)2月に開設されました。天明の飢饉のあとに増えた江戸の無宿人を集め、職業の訓練をして立ち直らせる施設です(資料確認済み:国立公文書館)。矯正図書館の変遷図では、明治3年(1870)に石川島徒場、明治6年に石川島懲役場、明治14年に石川島監獄署と名を変え、明治28年(1895)に巣鴨へ移転しています(資料確認済み:矯正図書館)。石川島の範囲は今の佃一丁目11番、二丁目1・3番と2番の一部です(資料確認済み:中央区)。跡地の佃公園(佃一丁目11番4号先)には、区の公園案内にある石川島灯台の復元物が建っています(資料確認済み:中央区)。人足寄場そのものを示す説明板があるかは、区の公式ページでは確認できていません(資料候補)。

明治の監獄(設置と移転)

明治の東京には、系統の違う監獄が並行して存在しました。矯正図書館の変遷図を軸に整理します(資料確認済み:矯正図書館)。

伝馬町牢屋敷、石川島人足寄場、鍛冶橋から東京拘置所へ、巣鴨と小菅の4つの系統を、移転と改称の年で並べた系統図。豊多摩監獄への移転、小菅への併設、東京集治監の年は、資料によって二つある。
伝馬町牢屋敷、石川島人足寄場、鍛冶橋から東京拘置所へ、巣鴨と小菅の4つの系統を、移転と改称の年で並べた系統図。豊多摩監獄への移転、小菅への併設、東京集治監の年は、資料によって二つある。

昭和の巣鴨プリズン

巣鴨の監獄は、明治28年(1895)に石川島監獄が北豊島郡巣鴨村へ移ったことに始まります。東京大学の紀要に載った荻堂志野氏の論文(豊島区の内部資料を使ったもの)によると、巣鴨村は雇用と誘致金を目的に監獄を誘致し、農地約55,000坪が充てられました。大正11年に巣鴨刑務所となり、関東大震災で大破した跡地に、昭和12年(1937)、市谷刑務所が移って東京拘置所と改称されます(資料確認済み:論文・矯正図書館)。

戦後、東京拘置所は連合国軍に接収され、「スガモプリズン」と呼ばれました(資料確認済み:矯正図書館)。矯正図書館の変遷図では、東京拘置所は昭和20年(1945)に小菅刑務所へ併設の形で移り、昭和27年(1952)に返還されて巣鴨刑務所、昭和33年(1958)に東京拘置所が巣鴨へ戻り、昭和37年に巣鴨刑務所は廃止、昭和46年(1971)に東京拘置所は旧小菅刑務所の跡地へ移転しました。葛飾区の年表は「昭和21年に小菅へ移り併設」「昭和33年に西巣鴨へ戻る」「昭和46年に現在地へ」としており、併設の年に1年の差があります(資料確認済み:矯正図書館・葛飾区)。

跡地は新都市開発センター(今の株式会社サンシャインシティ)が開発し、昭和53年(1978)にサンシャインシティが開業しました。論文によると、刑場跡に当たる200坪は昭和41年(1966)に都市公園とすることが決まり、隣接する東池袋中央公園の片隅に、昭和55年(1980)、高さ1.6メートル・幅2.5メートル・黒御影石の碑が建てられました。表面には「永久平和を願って」と刻まれ、公園は都市公園法に基づき豊島区が管理しています(資料確認済み:論文。碑文は論文中で「永久平和のために」と「永久平和を願って」の二通りの表記があり、現地未確認)。碑の前では献花が絶えないと論文は書いています。

碑の建立年は資料で分かれます。論文は1980年6月21日に公園とともに碑が竣工したとし、TBS NEWS DIG の報道が転記する碑の裏面の文は「昭和五十三年 六月」(1978年)で結ばれています(報道の転記による。現地未確認)。

いま残っている物(碑・公園・説明板)

十思公園、鍛冶橋交差点、佃公園、市谷台町・富久町、東池袋中央公園、東京拘置所を、地図でたどる順に点線で結んだ図。順路の外にある中野区新井の旧豊多摩監獄表門も添えた。
十思公園、鍛冶橋交差点、佃公園、市谷台町・富久町、東池袋中央公園、東京拘置所を、地図でたどる順に点線で結んだ図。順路の外にある中野区新井の旧豊多摩監獄表門も添えた。

地図でたどる順(住所・最寄駅・距離)

  1. 十思公園(中央区日本橋小伝馬町5)— 東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅からすぐ
  2. 鍛冶橋交差点(千代田区丸の内三丁目8先)— JR東京駅八重洲南口から南へ約500メートル。1から約1.7キロ
  3. 佃公園(中央区佃一丁目11番4号)— 東京メトロ有楽町線・都営大江戸線 月島駅から約600メートル。2から約2.2キロ
  4. 市谷台町・富久町(新宿区)— 都営新宿線 曙橋駅から約500メートル。3から約7キロ(電車移動が現実的)
  5. 東池袋中央公園(豊島区東池袋三丁目)— 東京メトロ有楽町線 東池袋駅から約300メートル。4から約4キロ
  6. 東京拘置所(葛飾区小菅一丁目35番1号)— 東武スカイツリーライン 小菅駅または東京メトロ千代田線 綾瀬駅から徒歩圏。5から約9キロ

距離は地図上の直線距離の目安(推定)です。1〜3は徒歩でつなげますが、4以降は電車での移動になります。

確認できなかったこと

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参考・出典

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