歴史の痕跡
大阪の監獄跡|扇町公園の堀川監獄から堺の大阪刑務所まで
江戸時代の大坂の牢屋敷は松屋町(今の中央区糸屋町の付近とされる)にあった。明治15年(1882)、今の扇町公園の場所に堀川監獄が開かれ、大正9年(1920)に堺へ移ったあと、跡地は大正12年(1923)に扇町公園になった。監獄は今も堺市堺区田出井町で大阪刑務所として続いている。
目次(7項目)
大阪市北区の扇町公園(北区扇町1・2丁目、約7.3ヘクタール)は、明治15年(1882)から大正9年(1920)まで大阪の監獄があった場所です(資料確認済み)。江戸時代の牢は、ここから南へ約2.5キロ(推定)、中央区糸屋町(松屋町筋沿い)にありました(資料候補)。大正9年に監獄は堺市へ移り、今も堺区田出井町で大阪刑務所として続いています(資料確認済み)。
江戸の牢屋敷
江戸時代の大坂で、罪を疑われた人が裁きを待つ間に入れられたのが牢屋敷です。大阪市立中央図書館が公開している調べものの記録(国立国会図書館レファレンス協同データベース)には、江戸時代の大坂の刑場をまとめた回答があり、そこに「松屋町牢屋敷内」で斬首が行われたという記述が出てきます(資料確認済み)。牢屋敷が松屋町にあったこと自体は、この公的な記録で確かめられます。
その場所は、矯正協会の矯正図書館がまとめた「刑務所拘置所変遷図 大阪府内編」が「松屋町牢屋敷(中央区糸屋町)」とし、『日本歴史地名大系』の「牢屋敷跡」の項も現在地名を東区糸屋町二丁目(当時の区名)、江戸時代の与左衛門町にあった未決拘置所で敷地八一二坪余と記しています(資料候補。自治体の資料ではない)。いまの中大江公園(糸屋町2丁目)の付近にあたりますが、公園の場所と牢屋敷を直接結ぶ公的な資料は見つかっていません。藤井嘉雄『大坂町奉行と刑罰』(清文堂出版、1990年)に詳しい記述があると推定されます。また、軽い罪の者や病人を収めた瓦屋町の牢屋敷があったという説明も見かけますが、原典を確認できていません(資料候補)。
牢屋敷の裁きを担った西町奉行所については、大阪府教育委員会が昭和61年(1986)に「大坂城惣構・西町奉行所跡発掘調査概要」を出しており、遺跡の所在地は中央区本町橋2丁目、調査時の町名で東区内本町橋詰町・豊後町です(資料確認済み)。今のマイドームおおさかの一帯にあたります。松屋町筋の牢屋敷と本町橋の奉行所は、東横堀川をはさんで数百メートル(推定)の近さです。
同じ記録によると、刑場は千日(中央区千日前一丁目)、鳶田(西成区太子町一丁目)、野江(都島区中通り三丁目)、三軒家(大正区三軒家東二丁目)の4か所でした(資料確認済み)。
明治の監獄と堀川の名
明治に入ると、牢屋敷は府の監獄に組み替えられます。大阪市立中央図書館の記録が引く『大阪府全志 巻之5』『北区史』『てんま-界隈-』によると、経緯は次のとおりです。
- 明治15年(1882)、堀川監獄の分署として開設。名前は天満堀川に沿っていたことに由来する
- 明治18年(1885)に松屋町分署、明治20年(1887)に中之島監獄、明治21年(1888)に若松町監獄が合併
- 明治23年(1890)、大阪府監獄署と改称
- 公園を含む一帯、約六万坪(約20ヘクタール)が大阪監獄の敷地だった
(いずれも資料確認済み。明治15年の開設から明治23年の改称までの年は、『大阪府全志 巻之5』の原本(p.292〜293)でも確かめました。名前の由来と約六万坪は図書館の回答を通じた確認で、原典は未確認です)
天満堀川は、江戸初期の大坂の町づくりで東横堀川や西横堀川と並んで掘られた水路です(大阪市都市計画局の資料、資料候補)。今は埋め立てられて道路になっています。江戸の松屋町分署が明治18年にこの監獄へ合併したという記述は、江戸の牢屋敷と扇町の監獄が直接つながっていることを示します。矯正協会の変遷図では、松屋町牢屋敷は明治9年に松屋町囚獄場、明治14年に松屋町監獄分署となり、大正7年に大阪監獄若松町分監へ移っています(資料候補)。若松町の分監ができた年は資料で分かれ、矯正協会の変遷図では大正7年(1918)、『大阪府全志 巻之5』では大正2年(1913)です。『大阪府全志』は、大正2年5月に堀川監獄の拘置監を大阪控訴院・同地方裁判所の裏手へ移し、若松分監と名づけて未決囚の拘置所にしたと記しています(資料確認済み)。
関西大学図書館所蔵の明治33年(1900)「大阪市街全図」の解説(関西大学の研究報告書)には、今の扇町公園の場所に通称「堀川監獄」と呼ばれた施設があり、名前の記載はないものの建物の配置が細かく描かれていること、明治の新聞人・宮武外骨が「何度もお世話になっている」ことが書かれています(資料確認済み。関西大学の保管庫は2026年10月28日から保守で止まっており、保存版で確認)。この資料は施設を「大阪刑務所」と呼びますが、明治33年当時の名は大阪府監獄署で、明治36年(1903)3月の監獄官制の改正で、大阪監獄と堀川監獄に分かれました(資料確認済み。『大阪府全志 巻之5』と矯正協会の変遷図による)。
『北区史』によれば、日露戦争のころ、監獄の周りは職員の官舎のほかは一面の桑畑でした(資料確認済み)。

堺への移転と扇町公園
大正9年(1920)6月、監獄は堺市へ移転し、跡地は大阪市に払い下げられました(資料確認済み)。堺市の公式ページ「堺市の合併の歴史」によると、同じ年の4月1日に堺市は泉北郡向井町と湊町を編入しています(資料確認済み)。刑務所の現在地がこの編入地に含まれるかは確認できませんでした。
跡地には大正12年(1923)12月1日、扇町公園が開設されました。大阪市建設局の資料では、公園の種別は地区公園、所在地は北区扇町1丁目・2丁目、開設面積は73,195平方メートルです(資料確認済み)。監獄の敷地約六万坪のうち、公園になったのは3分の1ほど(推定)で、残りは北区役所や市街地に変わっています。
その後の歩みも大阪市の資料と図書館の記録でたどれます。開園から間もなく軍事施設として使われた時期があり(時期は資料に明記なし)、昭和25年(1950)には日米の国際水泳大会に向けて50メートルの大阪プールが造られました。平成9年(1997)のなみはや国体に合わせてプールは八幡屋公園へ移り、平成13年(2001)に今の扇町プールが開館しています。
堺の大阪刑務所
法務省の矯正施設一覧によると、大阪刑務所の所在地は〒590-0014 堺市堺区田出井町6-1です(資料確認済み)。法務省が2025年2月の会議資料で、百舌鳥・古市古墳群に近い堺区にある西日本最大の刑務所で、西日本成人矯正医療センターと大阪少年鑑別所が隣接すると紹介しています(資料候補。PDFの文字が取り出せず、検索結果の抜粋で確認)。
移転から半世紀あまり後の昭和53年(1978)、衆議院で「大阪刑務所及び婦人補導院の移転に関する質問主意書」が出されました。質問は、刑務所が堺市の市街地中心部にあり、学校・病院・民家と隣接し、地域から移転要求が長く出ていると述べています。政府の答弁書は、収容定員2,487人の大施設で移転は極めて大きな困難を伴うため、できれば現在地で運営を続けたい、堺市が円滑な移転の条件を整えた場合は検討する、という内容でした(いずれも資料確認済み)。刑務所は今も同じ場所にあります。
大正11年(1922)に全国の監獄の名称が刑務所に改められ(資料確認済み)、大阪監獄も同年に大阪刑務所と改称しました(資料候補)。
いま残っている物
- 扇町公園(北区扇町1・2丁目): 監獄跡地そのものです。園内に監獄を示す碑があるかどうかは確認できませんでした。北区役所(扇町2-1-27)が公園に隣接しています
- 天満堀川の跡: 埋め立てられて道路になっています
- 中大江公園(中央区糸屋町2丁目): 松屋町牢屋敷があった糸屋町二丁目の一角です(資料候補。公園と牢屋敷を直接結ぶ公的資料は無し)
- 西町奉行所跡(中央区本町橋2丁目): 大阪府教育委員会の発掘調査で位置が確かめられています(資料確認済み)
- 大阪刑務所(堺市堺区田出井町6-1): 現役の施設です。敷地の外から見るだけにとどめ、撮影や立ち入りは施設の案内に従ってください

地図でたどる順
- 扇町公園(北区扇町1-1)。大阪メトロ堺筋線 扇町駅の出口から公園が目の前にあり、JR大阪環状線 天満駅からも徒歩5分ほどです(駅からの時間は民間の案内による推定)。公園の広さを歩いて、監獄の敷地がさらにこの3倍ほどあったことを思い浮かべてみてください
- 天満堀川の跡。扇町公園の近くを流れていました。正確な流路は現地で未確認です(埋め立ての年も未確認)
- 中大江公園(中央区糸屋町)。扇町公園から南へ約2.5キロ(推定)。大阪メトロ谷町線・中央線 谷町四丁目駅、または堺筋線 堺筋本町駅から徒歩圏です。松屋町筋に面した側に立ってみてください
- 西町奉行所跡(中央区本町橋2丁目、マイドームおおさか一帯)。中大江公園から西へ数百メートル(推定)
- 大阪刑務所(堺市堺区田出井町6-1)。JR阪和線 堺市駅の駅前一帯が田出井町にあたり(堺市の資料で確認)、刑務所も同じ町内です。扇町から南へ約15キロ(推定)
確認できなかったこと
- 松屋町牢屋敷の正確な範囲と、中大江公園との重なり。糸屋町二丁目という位置は矯正協会の変遷図と『日本歴史地名大系』によるもので、自治体の資料では確かめられませんでした。瓦屋町牢屋敷も同様です
- 「大阪刑務所」(大正11年)への改称年は、矯正協会の変遷図(官報を典拠に挙げる)と法務省の犯罪白書によるもので、大阪固有の一次資料は未確認です(明治36年の大阪監獄は『大阪府全志 巻之5』で確認しました)
- 若松町の分監ができた年が大正2年(『大阪府全志』)と大正7年(矯正協会の変遷図)のどちらか
- 堺の刑務所の現在地が、大正9年4月に堺市へ編入された向井町の範囲に含まれるかどうか
- 天満堀川の埋め立ての年
- 扇町公園内に監獄跡を示す碑や説明板があるかどうか(現地未確認)
- 関西大学の研究報告書は保管庫が保守中のため保存版で確認しました
- 図書館の回答が引く『北区史』『大阪史蹟辞典』『てんま-界隈-』は原典を開いていません(『大阪府全志 巻之5』は国立国会図書館デジタルコレクションの原本 p.292〜294 で確認しました)
- 監獄以前に陸軍の施設があったとする記述、堀の高さや収容人数の数字は、個人サイトの記述のみで未確認のため本文に書いていません
住所を入れると、周りの痕跡が出ます。
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20件出典に基づいて掲載している
- 「参考資料1 中之島公園ほか10公園の基本情報(令和元年8月時点)」大阪市建設局
city.osaka.lg.jp - 「中之島公園ほか10公園に関する参考資料(各公園の経過)」大阪市建設局
city.osaka.lg.jp - 「扇町(おうぎまち)公園の沿革について知りたい」大阪市立中央図書館(国立国会図書館レファレンス協同データベース、2021-09-01)
crd.ndl.go.jp - 「江戸時代に大坂にあった刑場の名称と場所を知りたい。」大阪市立中央図書館(同データベース)
crd.ndl.go.jp - 「大坂城惣構・西町奉行所跡発掘調査概要」大阪府教育委員会、1986年3月(奈良文化財研究所 全国遺跡報告総覧)
sitereports.nabunken.go.jp - 「大阪刑務所及び婦人補導院の移転に関する質問主意書」(第84回国会 質問第六〇号、昭和53年6月15日、荒木宏)衆議院
shugiin.go.jp - 「衆議院議員荒木宏君提出大阪刑務所及び婦人補導院の移転に関する質問に対する答弁書」(昭和53年7月18日)衆議院
shugiin.go.jp - 「全国の矯正管区・矯正施設・矯正研修所一覧」法務省
moj.go.jp - 「堺市の合併の歴史」堺市
city.sakai.lg.jp - 大阪市都市計画局 資料(大坂の城下町づくりの記述)
city.osaka.lg.jp - 関西大学 研究報告書 KU-0020(明治33年「大阪市街全図」解説)(2026年10月28日から保守で停止中)
kansai-u.repo.nii.ac.jp - 関西大学 研究報告書 KU-0020(明治33年「大阪市街全図」解説)保存版(2024年9月11日取得)
web.archive.org - 矯正施設所在自治体会議 資料(2025年2月)法務省
moj.go.jp - 『大阪府全志 巻之5』井上正雄、大阪府全志発行所、大正11年(国立国会図書館サーチの書誌)
ndlsearch.ndl.go.jp - 『大阪府全志 巻之5』p.292〜293(向井町「大阪監獄」の項)井上正雄、大正11年(国立国会図書館デジタルコレクション)
dl.ndl.go.jp - 「堺市駅前公共施設用地活用事業の基本協定を締結しました」堺市
city.sakai.lg.jp - 「JR阪和線堺市駅前の市有地」堺市
city.sakai.lg.jp - 「刑務所拘置所変遷図 大阪府内編」公益財団法人矯正協会 矯正図書館
jca-library.jp - 『日本歴史地名大系』(平凡社)「牢屋敷跡」コトバンク
kotobank.jp - 「平成元年版 犯罪白書 第4編第3章第2節4 行刑組織の変遷」法務省
hakusyo1.moj.go.jp
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