つるのはし跡(猪甘津の橋・鶴橋地名の由来)|何があった場所か
『日本書紀』仁徳天皇14年条の「猪甘津の小橋」に比定され、文献に残るわが国最古の橋と伝わる橋の跡です。旧平野川に架かり、鶴が多く飛来した伝承などが「鶴橋」の地名由来とされます。石碑と親柱が公園に保存されています。
時のながれ
- 仁徳天皇14年(日本書紀) — 「猪甘津に橋を為す。即ち、その所を号けて小橋という」と記され、文献に残る日本最古の橋と伝わります。
- 江戸期 — 旧桃谷街道・鶴橋街道が旧平野川を渡る地点に架かり、河内・大和方面への交通の要所であったとされます。
- 明治7年(1874) — 平野川浚渫の際に木橋から石橋に架け替えられたとされます。
- 昭和15年(1940) — 新平野川の開削に伴い廃橋となり、石碑と親柱4本が記念に保存されたとされます。
- 平成9年(1997) — 「つるのはし跡公園」として再整備され、石碑・親柱が現存するとされます。
備考
大阪市公式2ページで内容一致を確認。橋が架かっていた川は大阪市建設局ページで「平野川(旧大和川)」、生野区ページで「旧平野川」と記載(猫間川ではない)。新平野川の開削に伴い昭和15年に廃橋、石碑と親柱4本を保存し平成9年4月に「つるのはし跡公園」として再整備。地名由来は(1)鶴が多く飛来した説 (2)「津の橋」が訛った説の二説が市ページに併記されており断定しない。大阪市顕彰史跡一覧に碑番127として掲載(桃谷3-17、建立年度・平成2)だが、同一覧の分類は時代「江戸」・分野「名勝」であり、国・府指定史跡ではない点に注意。架橋を西暦にあてる記述は日本書紀の紀年に基づく伝承的な換算。座標は国土地理院ジオコーダの「桃谷三丁目17番」街区代表点(公園は桃谷3-17-22)で数十m程度の誤差があり得る。levelは石碑・親柱の現存と日本書紀の記録の重みから既存スポットとの均衡で3とした(検証エージェント申告は1)。
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近くの痕跡
- 御勝山古墳(大坂冬の陣・徳川秀忠本陣跡)(戦の痕跡・約499m)
- 疎開道路(生野区・建物疎開の名残)(戦の痕跡・約665m)
- 旧真田山陸軍墓地(戦の痕跡・約1.5km)
- 四天王寺(上町台地の霊的中心)(方位の痕跡・約1.7km)
参考・出典
- 5.つるのはし跡
大阪市建設局 - 生野区内の史跡・旧跡
大阪市生野区役所 - 大阪市顕彰史跡
大阪市教育委員会 - 大阪市顕彰史跡を一覧できる資料を見たい。
レファレンス協同データベース(国立国会図書館)