御勝山古墳(大坂冬の陣・徳川秀忠本陣跡)|何があった場所か
5世紀前半築造と推定される前方後円墳(全長約120m)。もとは岡山・丸山と呼ばれたが、大坂冬の陣で徳川秀忠の陣所となり、戦勝を記念して「御勝山」と呼ばれるようになったという。前方部は勝山通と公園に変わり、後円部が大阪府史跡として残る。残る後円部は、生野区勝山北三丁目にある。

近くの痕跡
- 疎開道路(生野区・建物疎開の名残)(戦の痕跡・約476m)
- つるのはし跡(猪甘津の橋)(地の痕跡・約499m)
- 四天王寺(上町台地・聖徳太子建立と伝わる寺)(方位の痕跡・約1.8km)
- 旧真田山陸軍墓地(戦の痕跡・約2.0km)
時のながれ
- 古墳時代(5世紀前半) — 全長約120mの前方後円墳として築かれたと推定される。かつては岡山・丸山と呼ばれた。
- 1614年(大坂冬の陣) — 徳川秀忠がこの丘に陣を敷き、戦勝を記念して「御勝山」と呼ばれるようになったという。
- 現代 — 前方部は勝山通と御勝山南公園に変わり、後円部が大阪府史跡として保存されている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 所在地(生野区勝山北三丁目16)、徳川秀忠の陣所であったこと、大阪府の史跡指定を、大阪市の公式ページで確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は墳丘の位置から換算したものである。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 「御勝山」という名の由来は、資料も「〜という」という伝承の形で記しており、断定できない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 7.御勝山(おかちやま)古墳 大阪府史跡
大阪市(公式) - 御勝山古墳 - Wikipedia
Wikipedia - 御勝山古墳と秀忠の本陣跡 その1
大阪城天守閣(豊臣石垣コラム)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :時のながれの「前方部は勝山通と御勝山公園に変わり」の公園名を「御勝山南公園」に改めた。前方部の跡は御勝山南公園で、御勝山公園は後円部の側であるためだ。参考・出典のコラムの発行元も、ページの表記どおり「大阪城天守閣(豊臣石垣コラム)」に改めた。
- :説明文に、調査メモにある、残る後円部の所在地(生野区勝山北三丁目)を足した。
この場所について
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