片埜神社(大坂城鬼門鎮護の社と伝わる)|何があった場所か
豊臣秀吉が大坂城の鬼門(北東)の方角にあたることから鬼門鎮護の社と定めたと伝わる古社。本殿は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が再建したと伝わり、国の重要文化財。
時のながれ
- 古代 — 延喜式内社。伝承では垂仁天皇の時代に野見宿禰がこの地を賜り創祀したと伝わる古社。
- 安土桃山期 — 戦乱で荒廃したが、豊臣秀吉が大坂城築城に際し、鬼門(北東)の方角にあたるこの社を鬼門鎮護の社と定めて復興したと伝わる。
- 1602年(慶長7年) — 豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本殿などを再建。本殿(三間社流造・檜皮葺)は国の重要文化財。
- 現代 — 河内北部の方除・厄除の守り神として信仰が続き、鬼面の御朱印や鬼のお守りでも知られる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 公式サイトが「大阪城鬼門除・鬼門鎮護」を掲げていることを確認した。本殿は重要文化財で、豊臣秀頼の再建・片桐且元の奉行によるものとされる。
そのため、このページではこうしています
- 現在も方除・厄除の信仰が続く神社である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 鬼門を鎮めるという由緒そのものは伝承に基づくもので、それ以上さかのぼれる資料には到達していない。
参考・出典
- 片埜神社(公式サイト)
片埜神社 - 片埜神社 - Wikipedia
Wikipedia - 片埜神社|大阪城の鬼門を守る国重文の社
大阪観光局(OSAKA-INFO)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 石清水八幡宮(平安京の裏鬼門を守る社と伝わる)(方位の痕跡・約5.2km)
- 伏見港と三栖閘門(水の痕跡・約12.2km)
- 巨椋池の干拓(京都府下最大の淡水湖が消えた国営干拓地)(水の痕跡・約12.8km)
- 鳥羽伏見の戦い 勃発地(小枝橋・鳥羽離宮跡公園)(戦の痕跡・約13.9km)
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 片埜神社(大坂城鬼門鎮護の社)同じ社を、方位除けの信仰の側から見たページ。