片埜神社(大坂城鬼門鎮護の社と伝わる)|何があった場所か
豊臣秀吉が大坂城の鬼門(北東)の方角にあたることから鬼門鎮護の社と定めたと伝わる古社。本殿は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が再建したと伝わり、国の重要文化財。
時のながれ
- 古代 — 延喜式内社。伝承では垂仁天皇の時代に野見宿禰がこの地を賜り創祀したと伝わる古社。
- 安土桃山期 — 戦乱で荒廃したが、豊臣秀吉が大坂城築城に際し、鬼門(北東)の方角にあたるこの社を鬼門鎮護の社と定めて復興したと伝わる。
- 1602年(慶長7年) — 豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本殿などを再建。本殿(三間社流造・檜皮葺)は国の重要文化財。
- 現代 — 河内北部の方除・厄除の守り神として信仰が続き、鬼面の御朱印や鬼のお守りでも知られる。
備考
公式サイトが「大阪城鬼門除・鬼門鎮護」を掲げていることを確認(2026-07-19)。Wikipediaで鬼門鎮護の由緒・本殿重文指定(豊臣秀頼再建・片桐且元奉行)、大阪観光局サイトで「秀吉が大阪城の鬼門を守る神として庇護」の記述を確認。鬼門鎮護の由緒自体は伝承ベースのためevidence=資料候補。現在も方除・厄除の信仰が続く現役の神社のため、参拝マナーへの配慮が必要。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 古代河内湖の名残(鶴見・城東低地)(水の痕跡・約16.9km)
- 中島大水道跡(水の痕跡・約18.0km)
- 放出(はなてん)地名(地の痕跡・約18.6km)
- 柴島(くにじま)— 旧中津川・神崎川の中州と柴島城跡(地の痕跡・約18.7km)
参考・出典
- 片埜神社(公式サイト)(片埜神社)
- 片埜神社 - Wikipedia(Wikipedia)
- 片埜神社|大阪城の鬼門を守る国重文の社(大阪観光局(OSAKA-INFO))