柴島(くにじま)— 旧中津川・神崎川の中州と柴島城跡|何があった場所か
難読地名で知られる柴島は、かつて神崎川と中津川に挟まれた中州(中島)にあった集落とされる。戦国期には西国から京への要衝として柴島城が置かれ、大阪市は細川晴賢・三好政長らが拠ったと記す。読み「くにじま」の由来には茎島・櫟島・柴島神社説など諸説がある。
時のながれ
- 中世 — 神崎川と中津川に挟まれた中州(中島)に集落が営まれたと伝わる。
- 戦国期 — 西国から京への要衝として柴島城が置かれ、細川晴賢・三好政長らが拠ったとされる(廃城時期不明)。
- 近代以降 — 中津川は新淀川の開削で姿を消したが、「柴島」の難読地名が土地の記憶として残る。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 柴島城の所在(東淀川区柴島二丁目19-5地先)は、大阪市の公式で確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 中州に立地していたことと地名の由来については、いずれも孫引きの資料にとどまり、一次資料まで到達していない。由来は確定していない。
参考・出典
- 17.柴島(くにじま)城跡
大阪市(公式) - 柴島(くにじま)とは - コトバンク
コトバンク - 柴島 - Wikipedia
Wikipedia
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 旧毛馬第一閘門(淀川改良工事・新淀川開削の遺構)(水の痕跡・約1.1km)
- 中島大水道跡(水の痕跡・約1.4km)
- 南浜墓所跡(大坂七墓)(死の痕跡・約2.4km)
- 第3回大阪大空襲の被災域(都島区中心・市街東北部)(戦の痕跡・約2.4km)