古代河内湖の名残(鶴見・城東低地)|何があった場所か
上町台地の東側に広がる低地は、古代には「河内湖(河内潟)」と呼ばれる広大な水域だったとされる。鶴見・城東の平坦な低地はその名残。
時のながれ
- 縄文期(紀元前7000年頃) — 上町台地の東側に「河内湾」と呼ばれる内海が広がる(水都大阪サイトで図示・明記)。
- 弥生〜古墳期 — 河内湾が淡水化し「河内潟」を経て「河内湖」へ変化(水都大阪サイト、Wikipedia等で一致)。
- 古代 — 鶴見区域の「放出」地名は河内湖の水が旧淀川へ放出される場所だったことに由来し、「茨田」地名は古代湿地に由来(大阪市鶴見区公式サイトに明記)。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 水都大阪のサイト、大阪市の歴史ページ、鶴見区の公式サイトで裏づけを確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 古地理の復元図そのものは閲覧していない。地形の推定は、それらの資料が示す範囲に基づいている。
参考・出典
- 古代大阪の変遷 – 水都大阪
水都大阪(大阪市関連公式サイト) - 大阪市の歴史-タイムトリップ20,000年
大阪市 - 大阪市鶴見区:区名、地名の由来
大阪市鶴見区
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 放出(はなてん)地名(地の痕跡・約1.7km)
- 蒲生(がもう)地名(地の痕跡・約3.0km)
- 鴫野古戦場跡(大坂冬の陣・鴫野の戦い)(戦の痕跡・約3.1km)
- 新開荘(永田)跡(地の痕跡・約3.5km)