江戸堀・京町堀川跡|何があった場所か
調査中の記録 この地点は、場所と要約・出典だけを置いた記録のページである。資料の確認がまとまったものから、詳しいページに改めていく。
肥後橋周辺の「江戸堀」「京町堀」は、いずれも埋め立てられた堀川の名残。船場・中之島一帯が水路網の街だったことを示す地名群。

近くの痕跡
- 靱公園(旧靱飛行場・靱塩干魚市場跡)(戦の痕跡・約160m)
- 海部堀川跡(靱本町・靱公園西側)(水の痕跡・約516m)
- 阿波堀川跡(西本町・阿波座)(水の痕跡・約572m)
- 西横堀川跡(阪神高速環状線下)(水の痕跡・約791m)
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この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 西区のあらまし - 大阪市(西区公式ページ)
大阪市(西区役所) - 大阪市:コラム2 「水の都」大阪
大阪市(建設局) - 下船場 - Wikipedia
Wikipedia
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :編集部の調査メモの年の確かめ方を改めた。大阪市西区のページが開削と埋立の年を記すのは江戸堀川だけで、京町堀川の年は別の資料によるため、二つを分けて書いた。時のながれの昭和30年9月の埋立の項も同じ理由で、9月と確かめられるのは江戸堀川だけとし、京町堀川は同じ年に埋め立てられたとされる、に改めた。
- :時のながれの1945年の項の「戦後の瓦礫処分が後の堀川埋立の主要因となる」を、大阪市の記述どおり「戦後、戦災の瓦礫処理のため堀川が埋め立てられた」に改めた。出典は瓦礫処理を埋め立ての目的として記し、主要因とまでは書いていないためだ。
この場所について
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