江戸堀・京町堀川跡|何があった場所か
肥後橋周辺の「江戸堀」「京町堀」は、いずれも埋め立てられた堀川の名残。船場・中之島一帯が水路網の街だったことを示す地名群。
時のながれ
- 江戸期 — 元和3年(1617年)、江戸堀川が開削される。京町堀は大坂冬の陣・夏の陣後、松平忠明の人口来住政策により伏見京町から移住した町人が開発した町域。
- 1945 — 大阪大空襲により市街地が被災し、戦後の瓦礫処分が後の堀川埋立の主要因となる。
- 1955 — 昭和30年9月、江戸堀川・京町堀川が埋め立てられる(大阪市西区公式ページ、Wikipedia「下船場」記事で一致)。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 開削が元和3年(1617年)、埋立が昭和30年(1955年)9月であることを、大阪市西区の公式ページで確認した。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 西区のあらまし - 大阪市(西区公式ページ)
大阪市(西区役所) - 大阪市:コラム2 「水の都」大阪
大阪市(建設局) - 下船場 - Wikipedia
Wikipedia
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この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 靱公園(旧靱飛行場・靱塩干魚市場跡)(戦の痕跡・約160m)
- 海部堀川跡(靱本町・靱公園東部)(水の痕跡・約516m)
- 阿波堀川跡(西本町・阿波座)(水の痕跡・約572m)
- 西横堀川跡(阪神高速環状線下)(水の痕跡・約791m)