海部堀川跡(靱本町・靱公園東部)|何があった場所か
1624年(寛永元年)開削と伝わる約550mの堀川の跡。靱の塩干魚問屋街とともに栄え、東端には永代浜と呼ばれる荷揚場が置かれたという。1951年に埋め立てられ、跡地の一帯は現在の靱本町・靱公園東部にあたる。
時のながれ
- 1624年(寛永元年) — 開削されたと伝わる。名称は開削を願い出た商人・海部屋にちなむという
- 江戸期 — 靱の塩干魚問屋街の水運を担い、東端に永代浜と呼ばれる荷揚場が置かれたという
- 1951年(昭和26年) — 埋立。周辺は戦後復興土地区画整理を経て靱公園などに姿を変えた
備考
堀川の存在と戦後埋立は大阪市建設局の公式コラム(埋め立てられた堀川一覧に「海部堀川」明記)で確認。開削年・名称由来(開削を願い出た商人・海部屋にちなむ説)は角川日本地名大辞典のWikipedia経由(孫引き)のため、原典照合が残課題。川跡は線状のため座標は靱本町付近の代表点(precision推定)。
参考・出典
- コラム2 「水の都」大阪(大阪市建設局)
- 海部堀川 - Wikipedia(Wikipedia(出典: 角川日本地名大辞典27 大阪府))