靱公園(旧靱飛行場・靱塩干魚市場跡)|何があった場所か
江戸期から続いた靱の塩干魚市場は1931年に閉鎖され、1945年の大阪大空襲で一帯は焼失。戦後は連合国軍に接収されて「靱飛行場」となり、1952年の返還を経て1955年に公園として開園したとされる。
時のながれ
- 江戸期〜1931年 — 靱塩干魚市場が置かれ、干物・干鰯などの海産物が集まったとされる(1931年の中央卸売市場開場に伴い閉鎖)
- 1945年 — 大阪大空襲で一帯が焼失
- 1946〜1952年 — 連合国軍が約3万坪を接収し「靱飛行場」を設置。講和条約発効後の1952年に大阪市へ返還
- 1955年 — 戦災復興土地区画整理事業により靱公園が開園
備考
京町堀川と海部堀川に挟まれた細長い区域が接収されたとされ、公園の形にその名残が読み取れる。既存スポットの江戸堀・京町堀川跡(id4)・海部堀川跡(id31)と地理的に連続する題材。一次資料(大阪市公式ページ)のURL直接確認は未到達のため評価は控えめにした。
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近くの痕跡
- 江戸堀・京町堀川跡(水の痕跡・約160m)
- 海部堀川跡(靱本町・靱公園東部)(水の痕跡・約357m)
- 阿波堀川跡(西本町・阿波座)(水の痕跡・約426m)
- 西横堀川跡(阪神高速環状線下)(水の痕跡・約645m)
参考・出典
- 靱公園(Wikipedia)
- 大樹を切ろうとして米軍関係者が負傷!?…もとは焼け野原に作られた占領下の飛行場 大阪・都心のオアシス「靱公園」の知られざる過去(まいどなニュース(神戸新聞社))