西横堀川跡(阪神高速環状線下)|何があった場所か
船場の西縁を流れていた堀川の跡。大部分が埋め立てられ、上部は阪神高速1号環状線となった(道頓堀川との合流部付近の最下流部だけが残る)。「川の上を高速が走る」大阪の埋立堀川の典型例。

近くの痕跡
- 海部堀川跡(靱本町・靱公園西側)(水の痕跡・約415m)
- 薩摩堀川跡(薩摩堀北公園・碑)(水の痕跡・約513m)
- 阿波堀川跡(西本町・阿波座)(水の痕跡・約536m)
- 立売堀(いたちぼり)川跡(水の痕跡・約618m)
時のながれ
- 1600年(慶長5年) — 西横堀川が開削される(材木商・永瀬七郎右衛門による開削と伝わり、当初は七郎右衛門堀川と呼ばれた)。
- 江戸期 — 船場の西縁の境界をなす堀川として機能。東岸は材木の集積地(西横堀二十四浜)として賑わう。
- 1962年(昭和37年) — 大阪市は、下水道の完備で不要となった堀川が戦災の瓦礫処理のため埋め立てられたと記し、西横堀川もその一つに挙げる。
- 現代 — 埋立後の跡地は阪神高速1号環状線(北行き)の高架および大阪市西横堀駐車場に利用されている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 埋立が1962年(昭和37年)、開削が1600年(慶長5年)であることを確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- いずれも角川日本地名大辞典を典拠とする記述で確認したもので、一次の公文書までは到達していない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 坐摩神社(いかすりさん)堀のすぐそばに鎮座する、摂津国一宮を称する古社。
- 難波神社の楠(御神木)同じ船場に残る、樹齢400年を超えるという御神木。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 大阪市:コラム2「水の都」大阪(生涯学習)
大阪市 - 西横堀川 - Wikipedia
Wikipedia(出典: 角川日本地名大辞典27大阪府) - 阪神高速1号環状線 - Wikipedia
Wikipedia
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :説明文の「埋立後、上部は阪神高速1号環状線となった」を「大部分が埋め立てられ」と改め、道頓堀川との合流部付近の最下流部だけが残ることを書き足した。全区間が埋め立てられたと読める書き方だったが、出典は最下流部が残ると記しているためだ。
- :時のながれの1962年の項の「戦後の瓦礫処理・下水道整備により不要となり埋め立てられる」を改めた。大阪市は、下水道の完備で不要となった堀川が戦災の瓦礫処理のため埋め立てられたと記しており、瓦礫処理は不要になった理由ではなく埋め立ての目的にあたるため、そのとおりに書いた。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。