立売堀(いたちぼり)川跡|何があった場所か
難読地名として知られる「立売堀」は、かつてここに堀川があった痕跡そのもの。川は埋め立てられ、地名だけが残った。
時のながれ
- 江戸期 — 元和年間(1615-1624年)頃または寛永3年(1626年)頃に立売堀川が開削されたとする説がある(一次資料は『摂津名所図会大成』等、孫引き)。
- 昭和 — 大阪市公式ページで『埋め立てられた主な堀川』の一つとして立売堀川が明記。具体的な西暦は未確認(Wikipediaでは『昭和中期』とのみ記述)。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 堀川が実在したことと埋め立てられたことは、大阪市の公式ページで確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 地名の由来(伊達堀に由来するという説など)は諸説あり、伝承の域を出ない。
- 開削と埋立の具体的な年は確認できていない。
参考・出典
- 大阪市:コラム2「水の都」大阪
大阪市(自治体公式) - 立売堀 - Wikipedia
Wikipedia(脚注に『摂津名所図会大成』『大阪の橋』を引用)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
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⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
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