戦災復興土地区画整理事業の痕跡(西区・幹線道路網)|何があった場所か
西区は第二次世界大戦で区内の80%が被災したとされ、戦後いち早く「復興都市計画」の対象地区となり、なにわ筋・新なにわ筋・中央大通などの幹線道路が建設されたと大阪市西区の公式サイトに記される。従来の不規則な街区が整理された過程の痕跡と伝わる。
時のながれ
- 1945年 — 第二次世界大戦の空襲により西区内の80%が被災したとされる(大阪市西区公式ページ)。
- 1946年(昭和21年) — 「復興都市計画」が決定し、なにわ筋(加島天下茶屋線)・新なにわ筋(尼崎堺線)の南北軸、中央大通(築港深江線)の東西軸となる幹線道路の建設が計画された。
- 1946〜1964年 — 戦災復興土地区画整理事業により、従来の不規則な街区が整理され、広幅員の幹線道路や都市計画道路が順次建設された。
- 1964年(昭和39年)7月 — 区画整理事業が完了し、業務地域・管理中枢地域としての基盤が形成されたと大阪市西区公式ページに明記。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市西区の公式ページで「区内の80%が戦災をうけた」「昭和21年に復興都市計画決定」「従来の不規則な街区が整理され、広幅員の幹線道路(なにわ筋・新なにわ筋・中央大通)が建設」「昭和39年7月に完了」という記述を直接確認した。
- 大阪市都市整備局のページでも、全市の戦災復興土地区画整理事業(46工区・約3,529ha・昭和21年から平成9年)を確認した。
そのため、このページではこうしています
- この事業は区の全域に及ぶため、ひとつの地点で示せるものではない。ピンは西区役所の周辺を代表点として置いている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 個々の施行地区の認可年月日や換地図といった、一次の公文書までは到達していない。
参考・出典
- 大阪市西区:西区のあらまし
大阪市西区役所(自治体公式) - 大阪市:大阪市における事業の歴史と実績
大阪市都市整備局(自治体公式) - 大阪市の土地区画整理事業一覧 - Wikipedia
Wikipedia(補助資料)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 立売堀(いたちぼり)川跡(水の痕跡・約470m)
- 阿波堀川跡(西本町・阿波座)(水の痕跡・約503m)
- 薩摩堀川跡(薩摩堀北公園・碑)(水の痕跡・約542m)
- 海部堀川跡(靱本町・靱公園東部)(水の痕跡・約650m)