庄内用水元杁樋門(庄内川からの取水口)|何があった場所か
庄内用水元杁樋門は、庄内川の水を庄内用水と堀川へ引き込むために、川の堤防へ設けられた取水口である。名古屋市は所在地を守山区瀬古二丁目228番地先と示し、年代を明治9、10年(1876、1877)の開削と明治43年の改修、構造を石造と掲げる。位置は庄内川に架かる水分橋の南側にあたる。名古屋市緑政土木局の河川案内は、堀川が庄内川水分橋上流の庄内用水頭取工で庄内川から分かれ、矢田川を暗渠でくぐったのち市の中心部を貫流すると説明する。取り込まれた水は矢田川を伏越で越えた先で黒川、御用水、庄内用水などへ分かれると守山区役所の案内は述べる。 守山区役所のまちあるき案内によれば、明治の初めに犬山と名古屋を結ぶ物流と農業用水のための水路が必要となり、明治10年(1877)に水分橋から矢田川の伏越までの区間が完成した。ただし腐朽が目立ったため、明治43年(1910)にアーチ型の水門へ改築された。同案内は改築後の寸法を長さ30メートル、幅2メートル、高さ3メートルと示し、人造石(たたき)工法の護岸と通船鎖跡が残ると挙げる。守山区の史跡散策路の解説は、同じ寸法のものが2門並列で原形をとどめると加える。明治19年(1886)には犬山から納屋橋まで舟が通ったという記述も同じ案内にある。 人造石は、セメントが高価で手に入りにくかった時代に、現在の碧南市出身の服部長七が考案した工法だと愛知県総合教育センターの教材は説明する。名古屋市は、人造石を使用した樋門としては名古屋で唯一現存するものであり、産業技術史からみて貴重な遺構だと位置づける。制度上の扱いは、文化財とは別の枠にある。この樋門は名古屋市の都市景観重要建築物等の第4回指定物件として平成5年(1993)10月12日に指定され、令和2年(2020)2月26日に景観重要建造物へ移行した。いずれも景観にかかわる制度である。名古屋市が公開する国指定、国登録、県指定、県登録、市指定、市登録の各文化財一覧に、この名前は見あたらない。一方、公益社団法人土木学会は2015年度(平成27年度)の選奨土木遺産に選び、名称に庄内用水元圦樋門の表記を用いる。 現在、庄内川をせき止めて水位を上げる役目は庄内用水頭首工が担う。守山区役所の案内は、頭首工が明治10年の木柵と石積による仮堰に始まり、洪水のたびに壊れては直す繰り返しを経て、昭和29年(1954)に現在の形になったと述べる。愛知県総合教育センターの教材は、昭和63年(1988)に新しい樋門が築造されて明治の樋門は機能の上で不要となり、その後は明治の遺産として保存されたと記す。明治の樋門は大部分が堤防の下に埋もれており、外から目に入るのは樋門の口と、ゲートを昇降させる設備の一部である。 周辺は庄内川の河川管理施設が並ぶ一帯であり、堤防や管理用の通路には立入が制限される区画が含まれる。守山区役所は、瀬古西コース 明治の産業遺産と水屋を訪ねて、というまちあるきの順路にこの樋門を組み込み、印刷用の地図も配る。訪ねる場合は、公道と案内された順路の範囲から眺めるのが前提になる。

時のながれ
- 1877年(明治10) — 水分橋から矢田川の伏越までの区間が完成する。庄内川には木柵と石積による仮堰が設けられる
- 1886年(明治19) — 犬山から納屋橋まで舟が通ったと守山区の案内は伝える
- 1910年(明治43) — 腐朽が進んだためアーチ型の水門へ改築される。人造石(たたき)工法の護岸が築かれる
- 1954年(昭和29) — 洪水のたびに壊れては直された堰が、現在の庄内用水頭首工の形になる
- 1988年(昭和63) — 新しい樋門が築造され、明治の樋門は機能の上で不要となる
- 1993年(平成5) — 名古屋市の都市景観重要建築物等の第4回指定物件に指定される
- 2015年(平成27) — 公益社団法人土木学会の選奨土木遺産に選ばれる
- 2020年(令和2) — 黒川樋門とともに景観重要建造物へ移行する
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 庄内用水元杁樋門のページ(名古屋市観光文化交流局)は、所在地を守山区瀬古二丁目228番地先、年代を明治9、10年(1876、1877)開削・明治43年改修、構造を石造と掲げる。
- 同ページ(名古屋市)は、令和2年2月26日に景観重要建造物へ移行したと記し、それ以前は都市景観重要建築物等の第4回指定物件(平成5年10月12日)であったと記す。
- 景観重要建造物指定物件の一覧(名古屋市)は、令和2年2月26日指定の物件に黒川樋門と庄内用水元杁樋門を並べて掲げる。
- 瀬古西コースの案内(名古屋市守山区役所)は、明治10年(1877)に水分橋から矢田川の伏越間が完成したが腐朽が目立ち、明治43年(1910)にアーチ型水門(長さ30メートル、幅2メートル、高さ3メートル)へ改築完成し、人造石(たたき)工法の護岸等と通船鎖跡があると記す。
- 同案内(名古屋市守山区役所)は、庄内用水頭首工を庄内川の水位を上げて元杁樋門に注水する堰と説明し、明治10年の木柵と石積の仮堰に始まり昭和29年(1954)に現在の形になったと記す。
- 史跡散策路の解説(名古屋市守山区役所)は、アーチ型で長さ30メートル、幅2メートル、高さ3メートルのものが2門並列で原形をとどめ、名古屋市内に現存する唯一の人造石工法による土木技術上貴重な産業遺跡であると記す。
- 選奨土木遺産のページ(公益社団法人土木学会)は、庄内用水元圦樋門を平成27年度(2015年)の選奨土木遺産に選び、所在地を名古屋市守山区瀬古、竣工年を1910年(明治43年)と記す。
- 元杁樋門の教材ページ(愛知県総合教育センター)は、現在の碧南市出身の服部長七が考案した人造石を一部に採用したと記し、1988年(昭和63年)に新樋門が築造されて機能の上で不要になったが保存されたと記す。
そのため、このページではこうしています
- 行政区は、名古屋市の示す守山区瀬古二丁目228番地先と土木学会の示す守山区瀬古に従い、守山区とした。緯度経度からの逆引きでも守山区瀬古二丁目と返る。
- 座標は、庄内川の堤防を水路がくぐり始める地点を採った。地図データの水路の形状から求めた点で、名古屋市の示す番地および水分橋の南という記述と矛盾しない。
- 既に掲げた御用水跡街園(北区)と主題が重ならないよう、庄内川から水を取り込む施設そのものと、その水位を上げる頭首工に的を絞った。
- 名称と施設名の表記は資料によって分かれるため、名古屋市の用いる元杁と、土木学会の用いる元圦の双方を示した。指定の区分は新しいものを先に示した。
- 文化財の指定と登録の有無は、名古屋市が公開する国指定、国登録、県指定、県登録、市指定、市登録の6つの一覧を個別に当たり、いずれにも名前が見あたらないことを確かめた上で書いた。
- 見えやすさの評価は、本体が現存する一方で大部分が堤防の下に埋もれ、外から目に入るのが樋門の口とゲート昇降設備の一部である点をもとに置いた。
- 河川管理施設が並ぶ場所であるため、堤防や管理用通路へ立ち入る前提の記述は置かず、公道と区役所が案内する順路からの見学に限る書き方とした。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 明治の樋門の内部を一般に公開する制度や、見学の申込先を示す公的な案内は見あたらない。
- 現在の管理者が名古屋市、土地改良区、国土交通省のいずれにあたるかを明記した公的な資料は見あたらない。
- 現地に解説板が立つかどうかを示す公的な資料は見あたらない。
- 所在の区が割れる。名古屋市と土木学会は守山区瀬古と記すが、レファレンス協同データベースに載る名古屋市鶴舞中央図書館の回答(2009年)は北区の水分橋のたもとの庄内川左岸堤防付近と記す。庄内川左岸である点は一致し、行政区の記述だけが食い違う。
- 地番の書き方が割れる。名古屋市は守山区瀬古二丁目228番地先、愛知県総合教育センターは守山区大字瀬古字元杁30番2地先と記す。
- 名称の表記が割れる。名古屋市と土木学会中部支部のページは元杁、土木学会の作品ページは元圦を用いる。施設名も、名古屋市緑政土木局は庄内用水頭取工、守山区役所は庄内用水頭首工と書く。
- 現在の通水の経路が割れる。守山区役所の案内は頭首工を元杁樋門に注水する施設と説明するが、愛知県総合教育センターは昭和63年の新樋門の築造で明治の樋門は機能の上で不要になったと記す。
- 指定の区分の表記が割れる。守山区役所の瀬古西コース案内は名古屋市都市景観重要建築物と掲げるが、名古屋市観光文化交流局のページと景観重要建造物の一覧は令和2年に景観重要建造物へ移行したと掲げる。
参考・出典
- 庄内用水元杁樋門
名古屋市(観光文化交流局 文化歴史まちづくり部 歴史まちづくり推進課) - 景観重要建造物指定物件
名古屋市 - 瀬古西コース 明治の産業遺産と水屋を訪ねて
名古屋市守山区役所 - 庄内用水元杁(守山区 史跡散策路)
名古屋市守山区役所 - 庄内用水元圦樋門(平成27年度 選奨土木遺産)
公益社団法人土木学会 - 元杁樋門(もといりひもん)
愛知県総合教育センター(愛知エースネット) - 庄内川水系の河川
名古屋市緑政土木局 - 庄内用水はどこにあるか。また元杁樋門の場所はどこにあるのか。
国立国会図書館 レファレンス協同データベース(回答館 名古屋市鶴舞中央図書館)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 御用水跡街園(名古屋城の堀へ水を引いた用水の跡)(水の痕跡・約1.7km)
- 那古野城跡(名古屋城より前に、ここにあった城)(戦の痕跡・約4.5km)
- 名古屋城の初代金鯱(空襲で溶けた雄と、降ろされていた雌)(戦の痕跡・約4.5km)
- 龍泉寺(名古屋城の鬼門を鎮護すると伝わる尾張四観音のひとつ)(方位の痕跡・約4.6km)