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那古野城跡(名古屋城より前に、ここにあった城)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-07

那古野城は、いまの名古屋城二之丸のあたりに室町時代から建っていた、名古屋城の前身にあたる城である。1538年(天文7)頃に織田信長の父・信秀が今川氏から奪い、のちに信長に譲り、1582年(天正10)頃に廃城になったとされる。跡地の二之丸には「那古野城址」の碑が立ち、城内のため見学には名古屋城の観覧料が要る。

名古屋城の二之丸に、那古野城址と刻まれた碑が立っている。名古屋城公式ウェブサイトは、現在の名古屋城二之丸のあたりに室町時代から前身となる那古野城が建っていたとし、城主は鎌倉時代後期から名古屋台地北部の那古野の地を領有していた今川氏の一族で、1433年(永享5)には館の存在が史料から確認できると記す。大永年間(1521から1524年)頃には駿河守護今川氏親が館を改修し、子の氏豊をおいたとされる。

城の主は戦乱のなかで移り変わった。同サイトは、室町幕府が没落し戦乱の世となると、尾張守護代であった織田家の中で信長の父・織田信秀が台頭し、1538年(天文7)頃、今川義元の弟である氏豊の居城だった那古野城を奪い取ったと記す。信秀が古渡城を築いて居を移すと、城は信長に譲られた。

1555年(弘治元)に信長が清須城へ移ると、信長の叔父にあたる信光が城主となり、信光が没すると重臣の林秀貞の居城となる。そして1582年(天正10)頃には廃城になったとされる。

廃城から30年ほどのち、同じ場所に別の城が現れた。同サイトは、城の主が今川氏、織田氏と変わり後に廃城となったが、徳川家康は尾張地方の拠点としてこの地に再び城を築いたと説明する。いま名古屋城として知られる石垣も堀も櫓も、すべてその後に置かれたものである。愛知県は那古野城の所在地を名古屋市中区二の丸1(名古屋城二の丸)とし、現在の名古屋城二の丸付近にあった城と記す。

碑が立つ二之丸は名古屋城の観覧区域の中にあり、名古屋市中区役所は史跡散策路の名古屋城コースについて、城内は観覧料が必要であると案内している。訪ねる場合は開園日と時間をあらかじめ確かめておきたい。150年ほど使われて消えた城の輪郭は、いまは碑のほかに手がかりが乏しい。

那古野城跡(名古屋城より前に、ここにあった城)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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