精進川の付け替えと新堀川(堀留・記念橋付近)|何があった場所か
熱田神宮への参詣者が身を清めたことから精進川と呼ばれた川が、蛇行による洪水を防ぐ運河として改修され、明治43年(1910)に付け替えが竣工、翌年に新堀川と改称されたと伝わる。旧精進川はのちに埋め立てられ姿を消したとされる。
時のながれ
- 明治16年(1883) — 蛇行して洪水の原因ともなっていた精進川を、運河として改修する計画が立てられたと伝わる(江戸期にも川替えの計画があったが中止されたとされる)。
- 明治43年(1910) — 精進川の改修(付け替え)工事が竣工し、運河として利用できるようになったとされる。
- 明治44年(1911) — 精進川から新堀川へと名称が改められたと伝わる(改称の時期には諸説ある)。
- 大正15年(1926) — 旧来の精進川の流路が埋め立てられ、姿を消したとされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市中区役所の公式ページ「新堀川・精進川の記憶」で、明治43年(1910)12月に精進川改修工事が完成し、翌年に新堀川へ改称されたことを確認した。
- Network2010の記事で、明治16年(1883)に運河への改修計画が立てられ明治43年(1910)に竣工したこと、川名が熱田神宮参詣者のみそぎに由来することを確認した。
- 三井住友トラスト不動産のまちアーカイブで、延長約5.7kmの精進川改修が明治43年(1910)に竣工し翌明治44年(1911)に新堀川へ改称されたこと、堀留が最上流部にあたることを確認した。
- ウィキペディアで、起点が中区の堀留水処理センターであること、南区で堀川へ合流すること、旧精進川が大正15年(1926)に埋め立てられたとの記載を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 代表地点は、新堀川の始点である堀留(堀留水処理センター一帯)とした。座標は、オープンストリートマップに登録された同センターの地点である。
- 少し下流の記念橋も、公道上から川を眺められる場所である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 改称の年について、明治43年(1910)の付け替え時とする記述と、翌明治44年(1911)とする記述が資料間で分かれている。
- 改修延長について、約5.7kmとする資料と約6kmとする資料があり、数値に差がある。
参考・出典
- 新堀川・精進川の記憶
名古屋市(中区役所)公式ウェブサイト - 明治時代の名古屋「新堀川(精進川)」
Network2010.org(地域アーカイブ) - 2:「鶴舞公園」と「新堀川」の誕生 ~ 名古屋 桜山・御器所
三井住友トラスト不動産 このまちアーカイブス - 新堀川 (名古屋市)
Wikipedia(補助資料)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 堀川(名古屋城築城とともに開削された運河)(水の痕跡・約1.8km)
- 四間道(しけみち・元禄の大火のあと四間に広げたと伝わる道)(地の痕跡・約2.3km)
- 笹島(ささしま)(地の痕跡・約2.4km)
- 空襲跡の碑(熱田空襲の記憶・堀川千年プロムナード)(戦の痕跡・約4.2km)