「お堀電車」の廃線跡(名古屋城外堀・大津橋)|何があった場所か
名古屋城のいちばん外側の堀を外堀という。その堀の中を、明治44年(1911)から昭和51年(1976)までの約70年間、電車が走っていた。瀬戸で焼かれた皿や茶わんを名古屋へ運ぶ貨物電車として敷かれたもので、堀にそって進む姿から「お堀電車」と呼ばれた。終点は堀川のほとりの堀川駅で、降ろされた荷は船に積み替えられ、堀川を下って名古屋港から積み出された。
堀の中は道幅がないため、堀の角は「サンチャンカーブ」と呼ばれる急な曲がりになり、本町橋のところでは上りと下りの線路を重ねる仕組みがとられた。速くは走れなかったが、そのゆったりとした走りこそ親しまれた理由だろうと名古屋市の紹介は述べている。やがて荷はトラックへ移り、乗る人は栄までの直通を望むようになって、路線は堀を出た。
いま堀の中に残るのは、大津橋のたもとから駅へ降りていく階段である。廃止のあと線路は外堀の地下へ移り、久屋大通の地下の栄町駅まで延びた。堀川駅のあった中区三の丸の景雲橋小園には、当時の駅を写した歴史銘板が立っている。堀の中は通り抜けられる場所ではないので、階段は大津橋の上から見下ろすことになる。

近くの痕跡
- 那古野城跡(名古屋城より前に、ここにあった城)(戦の痕跡・約729m)
- 名古屋城の初代金鯱(空襲で溶けた雄と、降ろされていた雌)(戦の痕跡・約989m)
- 四間道(しけみち・元禄の大火のあと四間に広げたと伝わる道)(地の痕跡・約1.3km)
- 堀川(名古屋城築城とともに開削された運河)(水の痕跡・約1.7km)
時のながれ
- 明治44年(1911) — 瀬戸から通じる鉄道が名古屋城の外堀に入り、終点の堀川駅まで開通する。約2キロメートルの堀の中を走り、瀬戸物を運ぶ貨物電車として使われたと名古屋市中区は記す。
- 大正末期 — 名古屋港からの陶磁器製品の輸出額が全国のうち6割を占め、日本一だったと名古屋市中区は記す。堀川駅の周りは荷の積み替えで働く人が多く、賑やかな場所だったという。
- 昭和20年(1945)以降 — 戦後、荷は船からトラックへ移り、電車は通勤や通学で乗る人の利用が中心になる。栄まで乗り換えなしで行けるようにという声が高まったと名古屋市中区は記す。
- 昭和51年(1976) — 約70年走った「お堀電車」が廃止される。路線は名古屋城の外堀の地下へ潜り、久屋大通公園の地下の栄町駅まで延びた。
- 現在 — 堀の中には、大津橋のたもとから駅へ降りていく階段が残る。堀川駅のあった中区三の丸一丁目の景雲橋小園には、当時の駅を写した歴史銘板が置かれている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市中区の紹介ページで、名古屋城のいちばん外側の堀が外堀であること、その約2キロメートルの堀の中を明治44年(1911)から昭和51年(1976)まで電車が走り「おほり電車」と呼ばれたこと、瀬戸物を運ぶ貨物電車として始まったことを確認した。
- 同じページで、終点の堀川駅で荷が船に積み替えられ、堀川を通って名古屋港へ運ばれ、そこから国外へも積み出されたこと、堀の角が「サンチャンカーブ」と呼ばれる急な曲がりで時速20キロメートルほどで曲がっていたこと、本町橋のところで上りと下りの線路を重ねる仕組みがとられたことを確認した。
- 同じページで、約70年間走った電車が昭和51年(1976)に廃止され、走っていた跡としては大津町という駅があった場所に階段が残っていると記されていることを確認した。
- 名古屋市中区のまちの記憶のページで、区間が現在の県立明和高等学校の北西から景雲橋の北にあった堀川駅までであったこと、堀川駅が外堀の中の西端で堀川の沿岸に近いところにあったこと、大正末期に名古屋港からの陶磁器製品の輸出額が全国のうち6割を占めて日本一だったこと、廃止後に路線が外堀の地下へ潜り久屋大通公園の地下の栄町駅へ変わったことを確認した。
- 名古屋市中区の歴史銘板の案内で、「かつてここから見た瀬戸電堀川駅」の銘板が中区三の丸一丁目の景雲橋小園内に設置されていることを確認した。
- 名古屋市の国指定文化財の一覧で、特別史跡 名古屋城跡が昭和7年12月12日に指定され昭和27年3月29日に特別史跡となったこと、面積が390,217.48平方メートルであること、所有者として国・名古屋鉄道・名古屋市等が挙げられていることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は、階段を見下ろせる大津橋の上を代表点とした。堀の中は通り抜けられる場所ではないため、案内は橋の上から見る形にそろえた。
- 特別史跡の所有者に鉄道会社の名が挙がる理由は、名古屋市の一覧に説明がない。一覧が挙げる事実だけを示した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 堀に残る駅跡の呼び方が、同じ名古屋市中区の資料の間で分かれる。紹介ページは「大津町という駅があった場所」と記し、まちの記憶のページは「大津駅跡」と記す。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- お堀電車(中区の歴史紙芝居)
名古屋市中区(公式) - 「お堀電車」(中区のまちの記憶を呼び起こす事業)
名古屋市中区(公式) - 中区歴史銘板のご案内
名古屋市中区(公式) - 国指定文化財
名古屋市(公式)
この場所について
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