龍泉寺(名古屋城の鬼門を鎮護すると伝わる尾張四観音のひとつ)|何があった場所か
名古屋城から見て北東(艮=鬼門)の方角にあたり、徳川家康が城の鎮護として定めた尾張四観音のひとつと伝わる天台宗の古刹。延暦年間に伝教大師最澄が創建したと伝えられる。
時のながれ
- 延暦年間(782〜806) — 伝教大師最澄が龍泉寺を創建したと伝わる。
- 慶長15年(1610) — 徳川家康が名古屋城の築城を開始。
- 江戸期 — 名古屋城から見て北東(鬼門)の方角にあたる龍泉寺を含む四寺を、城の鎮護として尾張四観音と定めたと伝わる。
- 宝暦5年(1755) — 古文書「龍泉寺記」に、龍泉の寺号の由来が記されているとされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 龍泉寺公式サイトの由緒ページで、延暦年間(782〜806)に伝教大師最澄が創建したと伝えられること、徳川家康が名古屋城築城の際に城から見て鬼門の方角にあたる寺院を鎮護として尾張四観音と定めたと記されていること、宝暦5年(1755)の古文書「龍泉寺記」に寺号の由来があることを確認した。
- 愛知県公式観光サイトで、家康が名古屋城築城にあたり鬼門の方角にある寺院を鎮護としたこと、龍泉寺が尾張四観音の一つであること、所在地が名古屋市守山区竜泉寺一丁目であること、仁王門が昭和3年(1928)に国の重要文化財に指定されたことを確認した。
- 名古屋市の公式観光情報で、尾張四観音が節分の恵方参りの対象として知られることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 尾張四観音は名古屋城を囲む四方に配されており、そのうち城の北東(艮=鬼門)にあたるのが龍泉寺であるため、龍泉寺を代表地点とした。
- 座標は竜泉寺一丁目の町域の中心付近であり、寺院の建物はこの点よりやや北側にある。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 鬼門鎮護を徳川家康が定めたとする点は寺伝・由緒に基づくもので、当時の史料までは確認できていない。
参考・出典
- 龍泉寺について(由緒・歴史)
尾張四観音 龍泉寺 公式サイト - 龍泉寺 スポット詳細
愛知県公式観光サイト Aichi Now - 尾張の恵方の観音様で邪気払い!名古屋の節分といえば尾張四観音
名古屋市公式観光情報 名古屋コンシェルジュ - 尾張四観音
Wikipedia(補助資料)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 精進川の付け替えと新堀川(堀留・記念橋付近)(水の痕跡・約9.7km)
- 四間道(しけみち・元禄の大火のあと四間に広げたと伝わる道)(地の痕跡・約9.9km)
- 堀川(名古屋城築城とともに開削された運河)(水の痕跡・約10.4km)
- 笹島(ささしま)(地の痕跡・約11.1km)