矢田川伏越(川の下をくぐって水を渡した仕掛け)|何があった場所か
名古屋市守山区と北区の境を流れる矢田川の下を、用水がくぐっている。名古屋市守山区は、延宝4年(1676年)、庄内川の水を名古屋城の堀へ送る御用水を矢田川と立体交差させるために尾張藩が建設したとし、矢田川の下をくぐる長さ177メートルの巨大木造トンネルであったと記す。川と川を平面で交わらせず、下を通す。伏越とは、その仕掛けを指す言葉である。
区は、明治から大正時代には犬山と納屋橋の間を結ぶ運河(航路)として使われ、舟が通っていたと記す。水を送るための穴が、人と荷を運ぶ道にもなっていた。区の説明によれば、矢田川伏越の出口には大きな分水池が築造され、そこから庄内、志賀、上飯田の各用水、黒川、御用水に分水し、配水された。分水池は天然プールとして親しまれたが、ポンプ場の建設により廃止されている。地上から目にできるのは、出口側にあたる黒川樋門の三連の石門のほうで、川の下の本体は今も見えないままである。

近くの痕跡
- 黒川樋門(くろかわひもん)(水の痕跡・約192m)
- 庄内用水元杁樋門(庄内川からの取水口)(水の痕跡・約678m)
- 瀬古元杁集水井(干ばつのあとに掘られた巨大な井戸)(水の痕跡・約707m)
- 庄内用水頭首工(毎年つくり直されていた仮の堰)(水の痕跡・約732m)
時のながれ
- 延宝4年(1676年) — 尾張藩が、庄内川の水を名古屋城の堀へ送る御用水を矢田川と立体交差させるために伏越を建設したと区は記す。長さ177メートルの木造トンネルであった。
- 明治10年(1877年) — 黒川の開削に伴い庄内用水路が開かれ、水分橋南で取水した水が矢田川を伏越で越えた所で黒川・御用水・庄内用水などに分流する流路が完成する。
- 明治から大正 — 犬山と納屋橋の間を結ぶ運河(航路)として使われ、舟が通っていたと区は記す。
- のちに — 出口の分水池は天然プールとして親しまれたが、ポンプ場の建設により廃止される。
- 昭和55年(1980年) — 出口側にあたる黒川樋門の三連の石門と屋根付の通り抜け建屋が復元されたと区は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市守山区の瀬古西コースの案内は、矢田川伏越について、延宝4(1676)年、庄内川の水を名古屋城の堀へ送る御用水を矢田川と立体交差させるために尾張藩が建設したと記す。
- 同じ案内は、矢田川の下をくぐる長さ177メートルの巨大木造トンネルでしたと記す。
- 同じ案内は、明治から大正時代には犬山と納屋橋間を結ぶ運河(航路)として使われ舟が通っていたと記す。
- 同じ案内は、黒川樋門の項で、矢田川伏越の出口に大きな分水池を築造し、そこから庄内、志賀、上飯田の各用水、黒川、御用水に分水し、配水されたと記す。分水池は天然プールとして親しまれたが、ポンプ場の建設により廃止されたとも記す。
- 同じ案内は、庄内用水路について、明治10(1877)年黒川の開削に伴い開削され、水分橋南で取水し、矢田川を伏越で越えた所で黒川・御用水・庄内用水などに分流し、現在の庄内用水の流路が完成したと記す。
- 名古屋市が公開する市指定文化財の一覧(令和7年8月12日現在)に、この伏越の名は見あたらない。
そのため、このページではこうしています
- 長さと年代は、区の公開資料の数値をそのまま用いた。別の数値を載せる資料があることは、食い違いとして示した。
- 位置は、区の案内が示す順路(庄内用水頭首工の次、黒川樋門の手前)と、出口が黒川樋門の分水池であったという説明から、矢田川を横切るあたりに置いた。番地までは資料が示していないため、位置はおおよそのものである。
- 地上に見えるのは出口側の石門である。川の中や堤防の立入禁止区域には入らず、遊歩道や橋の上から眺めたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 伏越がいまどの位置をどの向きに通っているかを示した公的な図面には到達できなかった。地上からは見えない構造である。
- 木造であった本体が、いつどのように現在の構造へ造り替えられたかを示す公的資料には到達できなかった。
- 舟が通っていた時期の通航の規模(何艘が何を運んだか)を示す資料には到達できなかった。
- 延宝4年の御用水の伏越と、明治10年の庄内用水の伏越が同じものか、並んだ別のものかを決める公的資料には到達できなかった。
- 長さの数値が資料により異なる。区の案内は177メートルと記すが、民間の記録には565尺2寸(171メートル)と書くものもある。どちらの数値がどの時期のどの伏越を指すかは定かでない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 瀬古西コース 明治の産業遺産と水屋を訪ねて
名古屋市守山区役所 - 庄内用水元杁樋門
名古屋市 - 市指定文化財一覧
名古屋市
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :説明文と時のながれで、三連の石門と屋根付きの建屋を矢田川伏越の出口のものとしていた書き方を改めた。守山区の資料では、これらは黒川樋門の構造物で、昭和55年(1980年)に復元されたものであるため、黒川樋門の名を入れ、「残る」も外した。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。