瀬古元杁集水井(干ばつのあとに掘られた巨大な井戸)|何があった場所か
名古屋市守山区の瀬古に、直径6メートル、深さ8メートルの井戸がある。名古屋市守山区は、昭和22(1947)年の大干ばつで水不足となった庄内用水の水量確保のために、翌年に瀬古地区に巨大な井戸が作られましたと記す。井筒高は3メートルであると区は書く。川の水が足りなくなったとき、人は地面の下へ水を探しに行った。
区は、昭和27(1952)年に使用を休止しましたが、堀川の水量確保のため平成13(2001)年に給水を再開しましたと記す。名古屋市の堀川についての説明も、庄内川からの暫定導水が停止された場合は、瀬古地区にあるかつて農業のため利用していた古井戸を利用して、毎秒0.02立方メートルの地下水を堀川へ導水していると書く。田を潤すために掘られた井戸が、半世紀ののちに、町なかの川の水を絶やさないための備えになっている。

近くの痕跡
- 庄内用水元杁樋門(庄内川からの取水口)(水の痕跡・約166m)
- 庄内用水頭首工(毎年つくり直されていた仮の堰)(水の痕跡・約211m)
- 矢田川伏越(川の下をくぐって水を渡した仕掛け)(水の痕跡・約707m)
- 黒川樋門(くろかわひもん)(水の痕跡・約879m)
時のながれ
- 昭和22年(1947年) — 大干ばつが起き、庄内用水が水不足になる。
- 昭和23年(1948年) — 瀬古地区に、直径6メートル・深さ8メートルの巨大な井戸が作られる。井筒高は3メートル。
- 昭和27年(1952年) — 井戸の使用が休止される。
- 平成13年(2001年)7月 — 庄内川から堀川へ毎秒0.3立方メートルの暫定導水が始まる。同じ年、この井戸も堀川の水量確保のために給水を再開する。
- 現在 — 導水が止まったときには、この古井戸から毎秒0.02立方メートルの地下水が堀川へ送られていると名古屋市は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市守山区の瀬古西コースの案内は、昭和22(1947)年の大干ばつで水不足となった庄内用水の水量確保のために、翌年に瀬古地区に巨大な井戸が作られたと記す。
- 同じ案内は、井戸の大きさを直径6メートル、深さ8メートル、井筒高は3メートルと記す。
- 同じ案内は、昭和27(1952)年に使用を休止したが、堀川の水量確保のため平成13(2001)年に給水を再開したと記す。
- 名古屋市の堀川の水量の確保についての説明は、庄内川からの暫定導水が停止された場合は、瀬古地区にあるかつて農業のため利用していた古井戸を利用して、毎秒0.02立方メートルの地下水を堀川へ導水していると記す。
- 同じ名古屋市の説明は、平成13年7月より庄内川から堀川へ毎秒0.3立方メートルの暫定導水を行っていると記す。
そのため、このページではこうしています
- 位置は、区の案内が示す順路で庄内用水元杁樋門の手前にあたることから、瀬古二丁目のあたりに点を置いた。番地までは資料が示していないため、位置は町域までの精度である。
- 名古屋市の説明にある古井戸と、区の案内にある集水井が同一のものであると明記した資料は見あたらない。ただし瀬古地区の農業用の古井戸であるという点と、堀川へ水を送っているという点は重なる。
- 周囲は住宅と農地の混じる地区である。水路や施設の敷地には入らず、道路から眺めるにとどめたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 井戸の正確な所在地を番地まで示した公的な資料には到達できなかった。区の案内は瀬古地区とだけ書く。
- 井戸を掘った事業の主体や、工事にかかった期間を示す資料には到達できなかった。
- 見学ができる場所かどうかを示す公的な案内には到達できなかった。
- 昭和27年に使用を休止した理由を示す資料には到達できなかった。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 瀬古西コース 明治の産業遺産と水屋を訪ねて
名古屋市守山区役所 - 堀川の水量の確保
名古屋市 - 庄内用水元杁樋門
名古屋市
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。