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白鳥貯木場跡(太夫堀と、斜めに走る道になった貨物線)|何があった場所か

位置精度: 町域 / 最終確認日: 2026-09-07

名古屋市熱田区の白鳥公園の一帯には、江戸時代から続く貯木場があった。名古屋市熱田区役所は、1610年に福島正則によって開削された堀川が名古屋城築城の資材を搬入する中心的ルートとして使われ、あわせて材料置場・船置場として大池が掘られたと記す。この大池は福島正則の官名である左衛門太夫にちなんで太夫堀と呼ばれたと伝えられ、同区はこの大池の周辺が白鳥貯木場の始まりであるとする。 木材は木曽や飛騨の山から水に浮かべて運ばれてきた。同区は、尾張藩領地の山々で伐採された木材が木曽川を流送され、白鳥貯木場まで26里(約102キロメートル)を300日要したといわれると記す。貯木場や堀川の周辺には千軒近い木材事業者が軒を連ね、神具・仏壇・建具などの地場産業へ受け継がれる高度な木材加工技術が発展した。同区はこの地が名古屋木材産業発祥の地とも言われるとし、こうした技術の進展や木材供給の容易さが、近代に至って自動車などの車両や航空機の製造業がこの地方で興る大きな要因になったと説明する。 水に浮かべて木材を保管する貯木場は、堀川と水門でつながっていた。同区は、その水門が北・中・南の3か所にあり、唯一残る中水門には橋桁の下の庇や門扉の一部が見られ当時の面影をしのぶことができると記す。木材の出し入れは、潮の干満の水位差を活かして水門を開けた時の水の流れを利用していたという。 転機は1959年の伊勢湾台風だった。同区は、この台風では流木による被害が多く発生し、防災上の見地からも市外に木材港や工業地帯の建設が進められたと記す。跡地は1989年に世界デザイン博覧会の白鳥会場となり、現在は名古屋国際会議場、白鳥公園、白鳥庭園などに利用されている。名古屋市の都市公園一覧(令和8年4月1日現在)は、白鳥公園を熱田区旗屋二丁目・白鳥一丁目・熱田西町、面積7.94ヘクタール、開園年度を昭和49年度と示す。 木材を運んだ鉄道の跡は、道路の形になって残っている。同区は、白鳥貯木場から木材を輸送するため大正5年に東臨港線から分岐して白鳥駅までの白鳥線が開通し、昭和24年の名古屋市中央卸売市場の開設と昭和32年の名古屋市場駅の開業を経て、トラック輸送の台頭により昭和53年に白鳥駅と名古屋市場駅の間の営業が廃止され、昭和57年に白鳥線が廃線となったと記す。そして、現在ではほとんど跡形もないとしながら、幡野町から国際会議場まで斜めに走る道路が当時の面影を残すと説明する。 園内には、太夫堀の南側に「白鳥御材木場・御船蔵跡」を示す看板が、太夫堀の東側に大正・昭和時代の写真を掲載した歴史案内板が立つ。同区は、この案内板の除幕式を平成27年3月22日に行ったと記す。水面と、斜めの道と、看板。木曽の山から400年近く木が集まり続けた場所の手がかりは、いまはその三つに絞られている。

白鳥貯木場跡(太夫堀と、斜めに走る道になった貨物線)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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