七里の渡し跡(宮の渡し公園・東海道唯一の海路の発着地)|何があった場所か
東海道は江戸から京都までを陸路でつないだが、宮宿(名古屋市熱田区)と桑名宿(三重県桑名市)の間だけは船で渡った。名古屋市熱田区役所は、この区間を宮宿と桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路とし、距離が七里(27.5km)であったことから七里の渡しと名付けられたと記す。ただし同区は、航路が満潮時の内回りと干潮時の外回りの二通りに分かれ、呼び名どおり七里きっかりの距離とは限らず、七里は通称であるとも明記する。所要時間は順調で4時間から6時間ほど、正徳元年(1711)5月の記録では、桑名までの船賃が旅人1人45文、荷物1駄100文、馬1頭が口取足付きで123文と決められていたと同区は挙げる。船旅を避ける者のために佐屋街道という陸路の迂回路も用意され、婦人や子どもが多く通ったことから姫街道とも呼ばれたと同区は記す。 その発着地の跡が宮の渡し公園である。名古屋市の都市公園一覧(令和8年4月1日現在)は、所在地を熱田区内田町・神戸町、面積0.62ヘクタール、開園年度を昭和60年度と示す。園内でまず目に入るのは高い常夜灯だが、これは江戸期の現物ではない。名古屋市は平成23年10月17日にこれを認定地域建造物資産の第23号に認定し、年代を昭和30年(1955)、特徴を「承応3年(1654)この地に建てられた熱田湊常夜灯を昭和30年に復元」と記載する。一方、同じ名古屋市でも熱田区役所の史跡散策路の解説は「寛永2年(1625)に常夜灯が建てられ船の出入りの目印とした」と記す。愛知県の公式観光サイトは、寛永2年に犬山城主が熱田須賀浦の太子堂(聖徳寺)の隣地に建てたものが風害で破損し、承応3年から現在の位置に移り、火災と荒廃を経て昭和30年に当時とほぼ同じ位置へ復元されたと説明する。二つの年号は建立地の違いと読める。 隣に立つ時の鐘の鐘楼も復元である。熱田区役所は蔵福寺について「延宝4年(1676)、当初は市民の生活のため、後には七里の渡し航行のためにも使われた、時を告げる鐘を設置。鐘楼は戦災で焼失したが、鐘は残る」と記す。江戸期の鐘そのものは今も蔵福寺にあり、公園の鐘楼は昭和58年の復元だと愛知県の公式観光サイトは説明する。桟橋も復元であり、園内に江戸期の構造物の現物は見あたらない。 公園の一角には、熱田区が令和3年11月21日に除幕した銘板がある。同区はここで、寛永元年(1624)に初代尾張藩主徳川義直の命で神戸の浜を埋め立てて出島がつくられ東浜御殿が造営されたという説と、その位置が現在の内田町付近と推定されることを挙げる。熱田湊そのものについても同区は、江戸時代の熱田が東海道の渡津として尾張最大の港になり、尾張藩が熱田奉行所を置き、船奉行の下に船番所・船会所を配して旅人や貨物の検察にあたったと記す。 宮宿の規模について、愛知県は熱田宿を江戸日本橋から41番目の宿場とし、天保14年(1843)の記録で本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒があり東海道随一の規模を誇ったと記す。同県は同時に、戦災と戦後復興、道路の敷設によって東海道や町が分断されたとも記す。海はすでに遠く、公園の前を流れるのは名古屋港へ注ぐ堀川である。復元の常夜灯と鐘楼、そして小さな桟橋だけが、ここが尾張の海の玄関だったことを示す。

時のながれ
- 慶長15年(1610) — 名古屋城の築城と同じ年に、海に面していた熱田と名古屋城下を結ぶ堀川が開削されたと名古屋市は記す
- 寛永元年(1624) — 神戸の浜を埋め立てた出島に東浜御殿が造営されたという説を名古屋市熱田区役所は挙げる
- 寛永2年(1625) — 熱田に常夜灯が建てられ、船の出入りの目印とされたと名古屋市熱田区役所は記す
- 承応3年(1654) — この地に熱田湊常夜灯が建てられたと名古屋市は記す
- 延宝4年(1676) — 蔵福寺に時を告げる鐘が設置され、のちに七里の渡しの航行にも使われたと名古屋市熱田区役所は記す
- 正徳元年(1711)5月 — 桑名までの船賃を旅人1人45文、荷物1駄100文などと定めた記録があると名古屋市熱田区役所は記す
- 天保14年(1843) — 熱田宿に本陣2軒・脇本陣1軒・旅籠248軒があり東海道随一の規模を誇ったと愛知県は記す
- 昭和30年(1955) — 常夜灯が当時とほぼ同じ位置に復元されたと名古屋市は記す
- 昭和58年(1983) — 時の鐘の鐘楼が公園内に復元されたと愛知県の公式観光サイトは記す
- 昭和60年度(1985年度) — 宮の渡し公園が開園したと名古屋市の都市公園一覧は示す
- 平成23年(2011)10月17日 — 常夜灯が名古屋市の認定地域建造物資産第23号に認定された
- 令和3年(2021)11月21日 — 公園内に設置された銘板の除幕式が行われたと名古屋市熱田区役所は記す
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市熱田区役所の解説(東海道唯一の海路「七里の渡し(宮の渡し)」、ページID1022302、更新日2025年10月16日)は、宮宿と桑名宿を結ぶ距離を七里(27.5km)とし、あわせて呼び名どおり七里きっかりの距離とは限らず七里は通称であると明記する。所要時間は4時間から6時間ほど、正徳元年(1711)5月の記録で船賃は旅人1人45文、荷物1駄100文、馬1頭が口取足付きで123文。
- 名古屋市緑政土木局の都市公園一覧(令和8年4月1日現在)は、宮の渡し公園を熱田区内田町・神戸町、面積0.62ヘクタール、開園年度昭和60年度と記載する。
- 名古屋市の認定地域建造物資産一覧(ページID1017289、更新日2025年10月16日)は、宮の渡し公園常夜灯を第23号として平成23年10月17日に認定し、所在地を熱田区神戸町(宮の渡し公園内)、年代を昭和30年(1955)と記載する。指定文化財ではなく認定制度による資産である。
- 名古屋市熱田区役所の史跡散策路(熱田神宮裁断橋コース、ページID1022292)は、蔵福寺に延宝4年(1676)に時を告げる鐘が設置され、鐘楼は戦災で焼失したが鐘は残ると記す。
- 名古屋市熱田区役所の史跡散策路(宮の渡しコース、ページID1022291)は、常夜灯を江戸初期に聖徳寺が管理し、のち宝勝院が明治中期まで管理を継いだと記す。宮宿には赤本陣・白本陣・脇本陣の3本陣があったとも記す。
- 名古屋市熱田区役所(熱田区まちかど発見!熱田湊の風景、ページID1022304)は、宮の渡し公園内の銘板の除幕式を令和3年11月21日に行ったと記す。同ページは東浜御殿の位置を現在の内田町付近と推定する。
- 愛知県のあいち歴史観光(熱田宿)は、熱田宿を江戸日本橋から41番目の宿場とし、天保14年(1843)の記録で本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒と記す。
- 座標は国土地理院の住所検索による名古屋市熱田区内田町(北緯35.118591・東経136.906433)と、オープンストリートマップの宮の渡し公園(北緯35.1184225・東経136.9061979)が約25メートル差で一致する。
そのため、このページではこうしています
- 園内の常夜灯・鐘楼・桟橋がいずれも復元であり、江戸期の現物ではないことを本文の中心に据えた。
- 常夜灯の年号は片方を採らず、二つの年を並べたうえで建立地の違いと読める旨を示した。
- 宮宿の規模は最大と断ぜず、資料が用いる語(随一・最大級)と天保14年の実数を並べて示した。
- 七里が通称であるという名古屋市の注記をそのまま示した。
- 建立者の人物名は資料間で割れるため、犬山城主という肩書のみを示した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 常夜灯・鐘楼・桟橋の復元工事の施工年月日や担当部署を記した名古屋市の資料は見あたらない。鐘楼を昭和58年の復元とするのは愛知県の公式観光サイトの記述による。
- 時の鐘が尾張藩主徳川光友の命によるという点は愛知県の公式観光サイトが記す。名古屋市の資料で確認できたのは設置年(延宝4年)と設置先(蔵福寺)までである。
- 宮宿を東海道で最大の宿場と断ずる公的資料は見あたらない。愛知県は東海道随一の規模、同県の公式観光サイトは最大級の規模という語を用いる。
- 公園の管理主体は、愛知県の公式観光サイトが問い合わせ先に名古屋市熱田土木事務所を挙げるにすぎず、管理者を明示した名古屋市の資料までは確認できなかった。
- 常夜灯の建立年について、名古屋市の認定地域建造物資産の記載は承応3年(1654)、同じ名古屋市でも熱田区役所の史跡散策路の記載は寛永2年(1625)である。愛知県の公式観光サイトは、寛永2年に熱田須賀浦の太子堂(聖徳寺)の隣地に建てられ、承応3年から現在の位置になったと説明しており、両者は建立地の違いとして整合する。
- 常夜灯を建てた犬山城主の名を、愛知県の公式観光サイトは成瀬正房と記す。成瀬正虎とする資料もあり、人物名の表記は一致しない。
参考・出典
- 東海道唯一の海路「七里の渡し(宮の渡し)」
名古屋市熱田区役所 - 宮の渡し公園常夜灯(認定地域建造物資産 第23号)
名古屋市観光文化交流局 - 史跡散策路 宮の渡しコース
名古屋市熱田区役所 - 史跡散策路 熱田神宮裁断橋コース(蔵福寺と時の鐘)
名古屋市熱田区役所 - 熱田区まちかど発見!熱田湊の風景(東浜御殿・銘板)
名古屋市熱田区役所 - 都市公園一覧(令和8年4月1日現在)
名古屋市緑政土木局 - 熱田宿(あいち歴史観光)
愛知県 - 七里の渡し(宮の渡し公園)
愛知県公式観光サイト Aichi Now - 七里の渡跡
桑名市 - 堀川の開削
名古屋市緑政土木局
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
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