くつ塚(伊勢湾台風殉難者慰霊之碑)|何があった場所か
伊勢湾台風の犠牲者を悼み、昭和35年に建てられた碑。水が引いたあとに集められた靴にちなみ「くつ塚」と呼ばれる。同じ浜田町三丁目には、当時の浸水の高さを示す標識も立つ。
時のながれ
- 昭和34年(1959)9月26日 — 伊勢湾台風が来襲した。名古屋港では観測史上最高となる5.31メートルの高潮が記録され、名古屋市の死者・行方不明者は1851人、南区内では1417人にのぼったと記録されている。
- 昭和34年(1959)10月 — 台風から2週間後に水が引き、周辺のアシの根元や田んぼに取り残された靴が集められた。花と線香が絶えず、以来「くつ塚」と呼ばれるようになったと伝えられる。
- 昭和35年(1960) — この地に伊勢湾台風殉難者慰霊之碑が建てられた。
- 平成元年(1989) — 同じ浜田町三丁目に伊勢湾台風浸水位標識が設置され、被災当時の学区内の最大水深を足下からの高さに置き換えて示している。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 国土地理院 中部地方測量部の自然災害伝承碑一覧で、伊勢湾台風殉難者慰霊之碑の所在地が愛知県名古屋市南区浜田町三丁目、建立年が1960年であることを確認した。
- 同じ一覧に、名古屋市南区浜田町三丁目の伊勢湾台風浸水位標識(建立年1989年)が別の伝承碑として登録され、被災当時の学区内の最大水深(神松地区)を足下からの高さに置き換えて表示していると記載されていることを確認した。
- 名古屋市南区役所のページで、伊勢湾台風が区内で1417人の死者を出したこと、昭和35年に慰霊之碑が建てられたこと、碑の裏面に「くつ塚」の由来が記載されていることを確認した。
- 名古屋市防災ポータルの伊勢湾台風のページで、名古屋市の死者・行方不明者が1851人、名古屋港の観測史上最高となる5.31メートルの高潮、床上浸水34883棟、床下浸水32469棟という数字を確認した。
- 愛知県の防災学習システムのページで、浜田南公園が名古屋市南区浜田町にあり、伊勢湾台風の慰霊のために設置された公園であることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は国土地理院が公開する伊勢湾台風殉難者慰霊之碑の位置を代表点とした。地図データに登録された浜田南公園の中心点とも十数メートルの差におさまる。
- 碑と標識はいずれも公園内の公共の場所にあるが、住宅地に隣接するため周囲への配慮を補足に添えた。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 浸水位標識が示す高さの具体的な数値(メートル)は、公的資料の記載を見つけられなかった。
- 死者数は資料によって集計の範囲が異なる。名古屋市の資料は市の死者・行方不明者を1851人とし、国土地理院が公開する碑文は当時の守山市および有松・大高の両町を含めて1881人と記す。
- 国土地理院の一覧表は浸水位標識の緯度を北緯34度05分13秒と記すが、同じ欄から開く地図は北緯35度台の地点を指しており、慰霊之碑とほぼ同じ場所にあたる。一覧表の表記のほうが誤りとみられる。
参考・出典
- 伊勢湾台風関連の自然災害伝承碑
国土地理院 中部地方測量部 - くつ塚(伊勢湾台風殉難者慰霊之碑)
名古屋市南区役所 - 伊勢湾台風
名古屋市 防災・危機管理(防災ポータル) - 浜田南公園(伊勢湾台風殉難者慰霊之碑・くつ塚)
愛知県 防災学習システム
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 年魚市潟(あゆちがた)跡(万葉集に詠まれた干潟と、それを見下ろした高台)(水の痕跡・約2.6km)
- 大高城跡(附 丸根砦跡・鷲津砦跡)(戦の痕跡・約2.7km)
- 空襲跡の碑(熱田空襲の記憶・堀川千年プロムナード)(戦の痕跡・約4.6km)
- 桶狭間古戦場公園(田楽坪・今川義元討死の地と伝わる一画)(戦の痕跡・約5.5km)