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鳴海城跡(天神社の高台と鳴海城跡公園)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-10

鳴海城は、永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦のとき今川方が守り、落ちなかった城である。跡地は名古屋市緑区の庚申坂を上った高台で、いまは石垣で組まれた天神社と、西の丸の跡を整えた城跡公園になっている。

名鉄鳴海駅の北、庚申坂を上った一帯が鳴海城の跡と伝えられる。名古屋市緑区は、安原備中守宗範が社殿を北の乙子山へ移して城を築いたと記す。永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦のときの城主は今川方の岡部五郎兵衛元信で、城は落ちず、合戦のあと主君義元の首と引き換えに明け渡されたという。

いま高台には石垣に囲まれた天神社が建つ。ここは成海神社のもとの鎮座地でもあり、昭和18年(1943年)に建てられた「鳴海城址之碑」がある。撰文は元信の末裔にあたる岡部長景と緑区は記す。西の丸の跡は西へおよそ120メートルの鳴海城跡公園として整えられ、城のあった土地は今、二つに分かれた形で残っている。

築城の年と廃城の時期は、同じ名古屋市の資料の中でも書き方が分かれている。築城は応永3年とするものと応永年間(1394年から1427年)とするものがあり、廃城は天正18年(1590年)とするものと、信長の家臣が入ったのちの天正末期とするものがある。どちらか一方に定まったとは言いにくい。

鳴海城跡(天神社の高台と鳴海城跡公園)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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