鳴海城跡(天神社の高台と鳴海城跡公園)|何があった場所か
鳴海城は、永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦のとき今川方が守り、落ちなかった城である。跡地は名古屋市緑区の庚申坂を上った高台で、いまは石垣で組まれた天神社と、西の丸の跡を整えた城跡公園になっている。
名鉄鳴海駅の北、庚申坂を上った一帯が鳴海城の跡と伝えられる。名古屋市緑区は、安原備中守宗範が社殿を北の乙子山へ移して城を築いたと記す。永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦のときの城主は今川方の岡部五郎兵衛元信で、城は落ちず、合戦のあと主君義元の首と引き換えに明け渡されたという。
いま高台には石垣に囲まれた天神社が建つ。ここは成海神社のもとの鎮座地でもあり、昭和18年(1943年)に建てられた「鳴海城址之碑」がある。撰文は元信の末裔にあたる岡部長景と緑区は記す。西の丸の跡は西へおよそ120メートルの鳴海城跡公園として整えられ、城のあった土地は今、二つに分かれた形で残っている。
築城の年と廃城の時期は、同じ名古屋市の資料の中でも書き方が分かれている。築城は応永3年とするものと応永年間(1394年から1427年)とするものがあり、廃城は天正18年(1590年)とするものと、信長の家臣が入ったのちの天正末期とするものがある。どちらか一方に定まったとは言いにくい。

近くの痕跡
- 雷貝塚(土器に名を残した、鳴海の貝塚の先駆け)(地の痕跡・約255m)
- 鳴海球場跡(教習所の敷地に残るスタンド)(地の痕跡・約484m)
- 善照寺砦跡(砦公園と、南東に開ける眺め)(戦の痕跡・約551m)
- 東の常夜灯(鳴海宿の入口を示した文化三年の石灯籠)(地の痕跡・約945m)
時のながれ
- 応永年間(1394年から1427年) — 安原備中守宗範の居城と名古屋市緑区は記す。社殿を北の乙子山へ移して城を築いたとされ、築城の年は応永3年とする書き方と応永年間とする書き方がある。
- 応永以後・永禄3年より前 — 織田信秀の家臣 山口左馬助父子が城主だったが、今川方に寝返ったと名古屋市緑区は記す。
- 永禄3年(1560年) — 桶狭間の合戦のときの城主は今川方の岡部五郎兵衛元信。城は落ちず、合戦のあと主君義元の首と交換で明け渡されたと名古屋市緑区は記す。
- 天正期 — 廃城となる。天正18年(1590年)とする記述と、信長の家臣 佐久間信盛・正勝が居城したのち天正末期とする記述がある。廃城ののち、成海神社の御旅所として天神社が祀られたという。
- 昭和18年(1943年) — 岡部元信の末裔で当時の文部大臣であった岡部長景が撰した「鳴海城址之碑」が建てられる。
- 現在 — 高台には石垣に囲まれた天神社が建ち、西の丸跡は鳴海城跡公園として整えられている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市緑区の鳴海周辺のみどころのページで、庚申坂を上ると一帯が元鳴海城跡の地であること、いまは石垣で組まれた天神社が建ち、そこが成海神社の旧地であることを確認した。
- 同じページで、安原備中守宗範が社殿を北の乙子山に移させて鳴海城を築いたこと、のちに織田信秀の家臣 山口左馬助父子が城主だったが今川方に寝返ったこと、永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦のときの城主が岡部五郎兵衛元信だったこと、城は落城せず合戦後に主君義元の首と交換で明け渡されたことを確認した。
- 同じページで、昭和18年(1943年)に元信の末裔で当時の文部大臣であった岡部長景が撰した「鳴海城址之碑」が建てられたこと、現在は西の丸跡が城跡公園として整えられていることを確認した。
- 名古屋市緑区の史跡散策路のページで、根古屋(鳴海)城跡が応永年間(1394年から1427年)の安原宗範の居城であり、永禄年間に岡部五郎衛門元信が守り、その後 信長の家臣 佐久間信盛・正勝が居城して天正末期に廃城となったと記されていることを確認した。
- 名古屋市の国指定文化財の一覧と市指定文化財の一覧のいずれにも、鳴海城跡の名は見あたらない。
そのため、このページではこうしています
- 年の食い違いは資料のまま並べ、どちらか一方に寄せることはしなかった。
- 座標は、城跡の地と記される天神社の高台を代表点とした。西の丸跡の鳴海城跡公園は西へおよそ120メートルの位置にある。
- 天神社の建つ高台を本丸と明記した名古屋市の資料には行き当たらなかったため、城跡の地という言い方にそろえた。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 築城の年が名古屋市の資料の間で分かれる。鳴海周辺のみどころのページは応永3年に1394年を添え、史跡散策路のページは応永年間(1394年から1427年)とする。同じみどころのページでも、瑞泉寺の項では応永3年に1396年が添えられている。
- 廃城の時期も分かれる。みどころのページは天正18年(1590年)に廃城となり成海神社の御旅所として天神社が祀られたとし、史跡散策路のページは佐久間信盛・正勝の居城を経て天正末期の廃城とする。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 鳴海周辺のみどころ一覧1
名古屋市緑区(公式) - 緑区史跡散策路・鳴海宿コースの紹介
名古屋市緑区(公式) - 国指定文化財
名古屋市(公式) - 市指定文化財一覧
名古屋市(公式)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :要約の冒頭に、所在地と現状の要約を足した。何があった場所で、いまどこでどうなっているかが、これまでの要約の先頭からは分からなかったため。時のながれの、山口左馬助父子が城主だった時期を「天文から永禄のはじめ」から「応永以後・永禄3年より前」に改めた。出典の緑区の資料は、この時期の年を示していないためだ。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。