空襲跡の碑(熱田空襲の記憶・堀川千年プロムナード)|何があった場所か
堀川沿いの千年プロムナードに残る、名古屋空襲を記録する碑。昭和20年6月9日、熱田区一帯の軍需工場が空襲を受け、動員された勤労学徒を含む多くの命が失われたと名古屋市熱田区は伝えている。被弾の傷跡を残す護岸の一部が、碑として今も残されている。
時のながれ
- 1945年(昭和20)3月19日 — 名古屋大空襲と呼ばれる大規模な焼夷弾空襲があり、市中心部が広く焼失した。総務省の戦災記録は、この日の空襲による死者を826名と記している。
- 1945年(昭和20)6月9日 — 軍需工場があった熱田区の一番町・白鳥橋周辺が大規模な空襲を受けた(熱田空襲)。動員された勤労学徒や付近の住民を含め、2000人を超える命が失われたと名古屋市熱田区は伝えている。
- 平成6年(1994) — 堀川の河川改修に伴い、被弾の跡を残す護岸の一部を切り取って記念碑が造られ、千年プロムナードに設置されたと名古屋市熱田区は説明している。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市熱田区の公式ページ「空襲跡の碑」で、昭和20年(1945)6月9日に軍需工場があった一番町や白鳥橋周辺が大規模な空襲を受け、付近の住民や勤労学徒を含む2000人を超える命が失われたこと、堀川の白鳥橋下流右岸の護岸に爆弾の破片によるものと言われる傷あとが残っていたこと、平成6年(1994)の河川改修の際に護岸の一部を切り取って造られた記念碑が千年プロムナードに設置されたことを確認した。
- 総務省の戦災記録ページ「名古屋市における戦災の状況」で、名古屋市の空襲被害の全体像と、昭和20年3月19日の空襲による死者826名の記録を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 昭和20年3月の空襲は中区・中村区方面が中心とされるが、自治体が公式に整備した記録の場である熱田区の空襲跡の碑を代表地点とした。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 碑そのものの正確な位置は資料からは一点まで特定できず、座標は白鳥橋付近を目安としている。
- 6月9日の空襲の犠牲者数は資料により記載に幅があり、単一の確定値は確認できていない。
参考・出典
- 空襲跡の碑(熱田区の魅力)
名古屋市熱田区公式ウェブサイト - 名古屋市における戦災の状況(愛知県)
総務省 - 熱田空襲
Wikipedia(補助資料)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 年魚市潟(あゆちがた)跡(万葉集に詠まれた干潟と、それを見下ろした高台)(水の痕跡・約3.0km)
- 精進川の付け替えと新堀川(堀留・記念橋付近)(水の痕跡・約4.2km)
- くつ塚(伊勢湾台風殉難者慰霊之碑)(水の痕跡・約4.6km)
- 笹島(ささしま)(地の痕跡・約5.0km)