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保久良神社と灘の一つ火|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-05

六甲山系の金鳥山から南へ延びる尾根の上に保久良神社が鎮座する。社頭には石灯籠が立ち、その灯は灘の一つ火と呼ばれてきた。神戸市東灘区総務部まちづくり課がまとめた歴史掘り起こしマップは、保久良神社(灘の一ツ火)の項を設け、日本武尊が大阪湾で航路を見失った夜に北の方角へ一つの光を認め、難波へ帰り着いたという話を、伝説によればと前置きして紹介する。兵庫県の観光サイトも、沖を行く船の道標として灯された灘の一つ火の言い伝えを挙げる。この呼び名は、神社が自ら記す由緒のほかに、市や県の資料にも現れる。 灯りの守り方は神戸新聞の連載記事が伝える。同記事によれば、平安時代まではかがり火を焚き、室町時代以降は灯籠の中で火を燃やし続けた。世話役はお燈明番と呼ばれ、防火のため電灯に変わったのちも北畑天王講の人々がその役を継ぐ。兵庫県神社庁の由緒も、昔はかがり火、近古は種油で神火を絶やさず灯したと述べる。江戸時代に詠まれたという歌、沖の舟人たよりに思ふ灘の一つ火ありがたやが地元に語り継がれてきた。ただし灯り始めた年や、航海の側から目印にしたことを裏づける記録は見あたらない。 尾根一帯は兵庫県立考古博物館の遺跡地名表に保久良神社遺跡の名で載り、時代の欄は弥生、種類の欄は集落に印が付く。石野博信は、樋口清之が社殿を含む百メートル余りの平坦地に十二群の巨石群を数え、巨石の下から銅戈と石斧、石鏃が出たと記録した点を紹介する。その巨石群を磐境と見た樋口の評価には、同じ年に大場磐雄が、配置が人工であるという証拠を欠くと批判を加えた。兵庫県神社庁は延喜式に社格と社名が載ると述べ、石野も延喜式内社と記す。 眺望は南へ開ける。国土地理院の標高データは社頭付近で百八十四メートルを返し、神戸新聞は百八十五メートルと記す。大阪湾は真南、淡路島は南西、生駒山は東にあたる。参道は住宅地の先から急な坂が続き、兵庫県神社庁は登山道のため一般車は進入禁止と明記する。

保久良神社と灘の一つ火の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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