敏馬の泊と敏馬神社(海が遠のいた万葉の歌枕)|何があった場所か
国道2号に面した丘の上に建つ神社である。兵庫県神社庁の由緒は、社殿がかつて「敏馬の崎」と呼ばれた高台にあり、その東側は大和時代頃より「敏馬の泊」という神戸最初の港であったと記す。神戸市灘区の灘百選も、この場所が神戸最古の港といわれるとし、大化の改新の頃は「敏馬の泊まり」といわれ、昭和初期まで白砂青松の景勝地であったと説明する。『万葉集』には、この地を詠んだ歌が残る。柿本人麻呂の「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ」は巻三の二五〇にあり、田辺福麻呂歌集の長歌は巻六の一〇六五で「百舟の泊つる泊りと八島国百舟人の定めてし敏馬の浦」とうたう。大伴旅人は大宰府からの帰路にこの崎を二首詠み(巻三の四四九・四五〇)、遣新羅使の一行の歌は「直向ふ敏馬をさして潮待ちて」と、海を渡る前の船出を記す(巻十五の三六二七)。国立国会図書館のレファレンス事例は『日本歴史地名大系』を引き、敏馬を生田川と都賀川の間の海浜に位置する奈良期から見える地名とし、中世にも歌枕として多くの和歌の題材になったと紹介する。海が遠のいたのは近代である。神戸市の神戸港の歴史は、昭和9年(1934)に東部内貿地帯の埋立が着工して昭和15年に竣工し、昭和15年(1940)には都賀川西部海面の埋立、すなわち灘ふ頭の工事が着工して昭和27年に竣工したと記す。いま社地の南には国道と高速道路と埋立地が横たわり、水際までは直線でおよそ0.5キロメートル離れている。境内には昭和45年(1970)夏に建てられた人麻呂の歌碑が立つ。丘の高まりと歌碑が、船の泊まった浦のありかを指し示している。

時のながれ
- 奈良時代 — 『万葉集』が敏馬・敏馬の崎・敏馬の浦を詠む歌を収める。柿本人麻呂の巻三の二五〇、大伴旅人の巻三の四四九と四五〇、山部赤人の巻六の九四六、田辺福麻呂歌集の巻六の一〇六五など。
- 平安時代 — 『日本歴史地名大系』は、『延喜式』玄蕃寮に、新羅使が来朝したときには敏売崎で酒を供することが定められていたと記す。
- 江戸時代 — 廻船の関係者が航海の安全を願って絵馬を奉納する。弁財船絵馬はのちに神戸市指定の有形民俗文化財となる。
- 1934年(昭和9) — 神戸市の東部内貿地帯埋立が着工する。昭和15年に竣工。
- 1940年(昭和15) — 都賀川西部海面埋立工事(灘ふ頭)が着工する。昭和27年に竣工。
- 1945年(昭和20) — 戦災で寛政年間建立の本殿が焼失する。
- 1952年(昭和27) — 社殿が改築される。
- 1970年(昭和45) — 境内に柿本人麻呂の歌碑が建てられる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 兵庫県神社庁の敏馬神社の由緒は、社殿がかつて「敏馬の崎」と呼ばれた高台にあり、東側は大和時代頃より「敏馬の泊」という神戸最初の港で、遣隋唐使も立ち寄ったといい、『万葉集』には「敏馬」を詠んだ和歌が九首あると記す。境内に柿本人麿・田辺福麿の歌碑があるともする。
- 同じ由緒は『摂津風土記』逸文を引き、「美奴売とは神の名なり」として、神功皇后が新羅へ出兵する際に能勢の美奴売山の神が現れて杉の木で船を造るよう教示し、帰還の折にこの地で船が動かなくなったため美奴売の神をこの地に祀ったと記す。創建を神功皇后摂政元年(201)とする。
- 神戸市灘区の灘百選は、国道2号と阪神高速道路に面する敏馬神社の場所が神戸最古の港といわれるとし、神社を201年の創建と伝えられるとする。大化の改新(645年)の頃は「敏馬の泊まり」といわれ、『万葉集』にはこの地を詠んだ歌が11首あり、昭和初期まで白砂青松の景勝地であったと記す。
- 『万葉集』巻三の二五〇は題詞を「柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首」とし、原文は「珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴」、訓読は「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ」である。同じ巻の三八九は「島伝ひ敏馬の崎を漕ぎ廻れば大和恋しく鶴さはに鳴く」である。
- 同じ歌集の巻六の一〇六五は題詞を「過敏馬浦時作歌一首并短歌」とし、原文に「百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者」、訓読に「百舟の泊つる泊りと八島国百舟人の定めてし敏馬の浦は」とある。左注は「右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也」。反歌の一〇六六は「まそ鏡敏馬の浦は百舟の過ぎて行くべき浜ならなくに」である。
- 同じ歌集の巻三の四四九・四五〇は大伴旅人の作で、左注に「右二首過敏馬埼日作歌」とあり、四四九の訓読は「妹と来し敏馬の崎を帰るさにひとりし見れば涙ぐましも」である。巻十五の三六二七は遣新羅使の歌で、原文に「多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖」、訓読に「直向ふ敏馬をさして潮待ちて」とある。
- 国立国会図書館のレファレンス協同データベースの事例は、『日本歴史地名大系 第29巻 兵庫県の地名1』などを挙げて、敏馬を現灘区岩屋の大阪湾に臨む海岸地域の地名とし、生田川と都賀川の間の小湾曲部の海浜に位置し、奈良期から見える地名で、中世にも歌枕として多くの和歌の題材になったと記す。「美奴売・敏売」とも書くとする。同じ『日本歴史地名大系』は、『延喜式』玄蕃寮に、新羅使が来朝したときには敏売崎で酒を供することが定められていたと記す。
- 神戸市の「神戸港の歴史」は、昭和9年(1934)に東部内貿地帯埋立が着工して昭和15年に竣工し、昭和15年(1940)に都賀川西部海面埋立工事(灘ふ頭)が着工して昭和27年に竣工したと記す。
- 文化庁の日本遺産ポータルサイトは、敏馬神社の弁財船絵馬を神戸市指定の有形民俗文化財とし、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」および「『伊丹諸白』と『灘の生一本』」の構成文化財に挙げる。
- 兵庫県立美術館のネットミュージアム兵庫文学館の兵庫文学碑マップは、神戸市灘区岩屋中町の敏馬神社にある文学碑を柿本人麻呂の「敏馬浦址 たまもかる敏馬をすぎてなつくさの 野島のさきに舟ちかづきぬ」とし、建立を昭和45年(1970)夏と記す。
そのため、このページではこうしています
- 港としての位置づけは、資料が言葉にした範囲だけを示した。年代を伴う断定は避け、資料ごとの言い回しを残した。
- 海が遠のいた経緯は、神戸市が公にしている港の沿革で年次を確かめられた埋立だけを示した。
- 『万葉集』の歌は、巻と歌番号を添えて示した。歌数の差は資料の食い違いとして挙げる。
- 「みぬめ」の由来は決め手を欠くため、諸説があるものとして示した。
- 神社は国道2号に面しており、社殿と歌碑は参道から見ることができる。境内は道路と住宅に囲まれた小さな丘であり、静かに歩きたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 敏馬神社を『延喜式』神名帳の摂津国八部郡「汶売神社」に比定する見方は広く流通するが、兵庫県神社庁の由緒にも神戸市灘区の灘百選にも式内社の語は見あたらず、公的機関の資料での裏づけは確認できなかった。
- 難波を出た船が西へ向かうときに最初に泊まる地であったとする説明は、公的機関の資料では確認できなかった。『日本大百科全書』は、かつては難波津と淡路島の中間にある港であったのであろうと推し量る形で記す。
- 行基が開いたと伝わる摂播五泊(河尻・大輪田・魚住・韓・室生)に敏馬を数える資料は見あたらなかった。
- 江戸時代の奉納灯籠が現在も境内に立つとする記述の裏づけは、公的機関の資料では確認できなかった。
- 古代の汀線がどこを通っていたかを数値で示す公的な資料は確認できなかった。社地の南の水際までの距離は、公開されている地図データから測った概数である。
- 花嫁行列がこの社の前を通らないという言い伝えが広く語られるが、公的機関の資料での裏づけは確認できなかった。
- 『万葉集』に敏馬を詠む歌が何首あるかは資料で分かれる。兵庫県神社庁の由緒は九首とし、神戸市灘区の灘百選は11首とする。
- 神戸市の「神戸港の歴史」は、神戸港の起こりを「務古水門」「大輪田の泊」から説き起こし、敏馬への言及が見あたらない。同じ神戸市でも灘区の灘百選は敏馬神社の場所を神戸最古の港といわれるとする。
- 敏馬の位置の示し方が資料で異なる。国立国会図書館のレファレンス事例が引く『日本歴史地名大系』は生田川と都賀川の間の海浜で摂津国菟原郡のうちとし、『日本大百科全書』は西郷川河口付近の古地名で摩耶埠頭一帯とする。
- 「みぬめ」の由来には複数の説がある。兵庫県神社庁が引く『摂津風土記』逸文は「美奴売とは神の名なり」として神の名に求め、能勢の美奴売山の神を祀ったことに始まると記す。水の神とみる説や、海藻の海松(みる)に求める説も流布するが、公的機関の資料での裏づけは確認できなかった。
参考・出典
- 敏馬神社
兵庫県神社庁 - 灘百選・神社/仏閣④
神戸市灘区 - 神戸港の歴史
神戸市港湾局 - 「敏馬(みぬめ)の浦」について調べている。
国立国会図書館 レファレンス協同データベース - 敏馬神社弁財船絵馬(日本遺産「『伊丹諸白』と『灘の生一本』」構成文化財)
文化庁 - 敏馬神社「弁財船絵馬」(日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」構成文化財)
文化庁 - 神戸市灘区岩屋中町敏馬神社(兵庫文学碑マップ)
兵庫県立美術館 ネットミュージアム兵庫文学館 - 万葉集 第三巻(歌番号03/0250・03/0389・03/0449・03/0450 原文と訓読)
ウィキソース - 万葉集 第六巻(歌番号06/0946・06/1065・06/1066 原文と訓読)
ウィキソース - 万葉集 第十五巻(歌番号15/3606・15/3627 原文と訓読)
ウィキソース - 敏馬(日本歴史地名大系・日本大百科全書)
コトバンク(平凡社・小学館)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 旧生田川の付け替え跡(フラワーロードと加納町の由来)(水の痕跡・約2.3km)
- 北野天満神社(福原京の鬼門鎮護と伝わる社)(方位の痕跡・約2.7km)
- 生田神社と生田の森(神戸という市名の由来)(地の痕跡・約2.8km)
- 布引五本松堰堤と布引貯水池(神戸水道創設期の水源)(水の痕跡・約2.8km)