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敏馬の泊と敏馬神社(海が遠のいた万葉の歌枕)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-05

国道2号に面した丘の上に建つ神社である。兵庫県神社庁の由緒は、社殿がかつて「敏馬の崎」と呼ばれた高台にあり、その東側は大和時代頃より「敏馬の泊」という神戸最初の港であったと記す。神戸市灘区の灘百選も、この場所が神戸最古の港といわれるとし、大化の改新の頃は「敏馬の泊まり」といわれ、昭和初期まで白砂青松の景勝地であったと説明する。

『万葉集』には、この地を詠んだ歌が残る。柿本人麻呂の「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ」は巻三の二五〇にあり、田辺福麻呂歌集の長歌は巻六の一〇六五で「百舟の泊つる泊りと八島国百舟人の定めてし敏馬の浦」とうたう。大伴旅人は大宰府からの帰路にこの崎を二首詠み(巻三の四四九・四五〇)、遣新羅使の一行の歌は「直向ふ敏馬をさして潮待ちて」と、海を渡る前の船出を記す(巻十五の三六二七)。

国立国会図書館のレファレンス事例は、『日本歴史地名大系』を引いて敏馬を現灘区岩屋の大阪湾に臨む海岸地域の地名とし、『角川日本地名大辞典』を引いて、生田川と都賀川の間の海浜に位置する奈良期から見える地名で、中世にも歌枕として多くの和歌の題材になったと紹介する。

海が遠のいたのは近代である。神戸市の神戸港の歴史は、昭和9年(1934)に東部内貿地帯の埋立が着工して昭和15年に竣工し、昭和15年(1940)には都賀川西部海面の埋立、すなわち灘ふ頭の工事が着工して昭和27年に竣工したと記す。

いま社地の南には国道と高速道路と埋立地が横たわり、水際までは直線でおよそ0.5キロメートル離れている。境内には昭和45年(1970)夏に建てられた人麻呂の歌碑が立つ。丘の高まりと歌碑が、船の泊まった浦のありかを指し示している。

敏馬の泊と敏馬神社(海が遠のいた万葉の歌枕)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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