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生田神社と生田の森(神戸という市名の由来)|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-05

神戸市中央区下山手通に鎮座する生田神社は、市の名そのものの由来といわれる社である。神戸市の広報コンテンツは、昔は神社に税を納める家のことを神戸(かんべ)といい、生田神社の神戸が近くにあったことが今の市名である神戸(こうべ)のもとになったと説明する。神戸(かんべ)は律令制で神社に属し、租・庸・調や雑役を神社に納めた民戸を指す語で、精選版日本国語大辞典は神封戸とも呼ぶとする。日本大百科全書は、806年に摂津44戸をもって生田神社の神封とされ、当地を神戸と称するのはこの生田社の神戸によるものといわれる、と記す。神戸市中央区の刊行物には、10世紀の和名抄に八部郡の郷の一つ、神戸郷(かんべのさと)が見え、のちの神戸村から城ケ口あたりに当たるとある。 生田神社の起源について、同じ刊行物は、日本書紀で神功皇后が稚日女尊を祀った活田長峡国が社のはじまりといわれ、その地は砂山(丸山)であったが、後に洪水で社が流され現在地に移ったと伝えられる、と記す。日本歴史地名大系は、同じ伝えの典拠に摂津名所図会を挙げる。市の広報は、その折に松が役に立たなかったため生田の神は松を嫌い、正月にも門松ではなく杉飾りを立てると伝える。 本殿の背後に残る生田の森は古くから歌に詠まれた地で、新古今和歌集の巻第四秋歌上には藤原家隆の一首が収められる。1184年の源平の合戦を兵庫県立歴史博物館は生田森・一の谷合戦と呼び、2月7日の朝に源範頼の軍勢が生田森を、源義経の軍勢が須磨一の谷を攻めたと解説する。日本大百科全書は、生田の森を一ノ谷城の東の木戸口に当たる地と記す。

生田神社と生田の森(神戸という市名の由来)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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