旧国立移民収容所と移住坂(海外移住と文化の交流センター)|何があった場所か
国立国会図書館の電子展示会は、政府の移民奨励政策により1928年(昭和3)3月に国立神戸移民収容所が神戸の高台に開設され、第1期生581名が入所したと記す。神戸市立中央図書館は、ここで出国手続きや健康診断のほか、移住地の言語・宗教・地理・風俗・農業事情などの知識を身につけることを目的とした施設だったとし、名称が神戸移住教養所、神戸移住斡旋所、神戸移住センターと改称されながら、その間に約20万人を海外へ送り出したと記す。国立国会図書館は、1928年3月17日の布哇丸出港の日、万歳三唱ののち移民収容所から通称「移住坂」を下って埠頭へ行列が延々と続いたと記す。同館は、戦時中は閉鎖されて大東亜要員錬成所として終戦まで使われ、1971年(昭和46)5月31日に閉館したと記す。建物は現存し、2009年に神戸市立海外移住と文化の交流センターとして整備されたと神戸市立中央図書館は記す。
時のながれ
- 1928年(昭和3) — 3月に国立神戸移民収容所が開設され、第1期生581名が入所したと国立国会図書館は記す。
- 1932年(昭和7) — 神戸移住教養所と改称されたと国立国会図書館は記す。
- 戦時中 — 閉鎖され、大東亜要員錬成所として終戦まで使われたと国立国会図書館は記す。
- 1952年(昭和27) — 外務省の神戸移住斡旋所として再開したと国立国会図書館は記す。
- 1971年(昭和46) — 5月31日に閉館したと国立国会図書館は記す。
- 2009年(平成21) — 神戸市立海外移住と文化の交流センターとして整備されたと神戸市立中央図書館は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 国立国会図書館の電子展示会のコラムは、政府の移民奨励政策により1928年(昭和3)3月に国立神戸移民収容所が神戸の高台に開設され、3月10日の入所日に第1期生581名が入所したと記載する。
- 同じコラムは、入所期間が10日以内で、出港の日まで各種講話と予防接種に明け暮れるが滞在費は無料であったと記載する。
- 同じコラムは、1928年3月17日の布哇丸出港の日に、万歳三唱ののち移民収容所から通称「移住坂」を下って埠頭へと行列が延々と続いたと記載する。
- 同じコラムは、1932年(昭和7)に神戸移住教養所と改称され、戦時中は閉鎖されて占領地へ赴く軍属を錬成する大東亜要員錬成所として終戦まで利用されたこと、1952年(昭和27)に外務省の神戸移住斡旋所として再開したこと、1964年(昭和39)に再び神戸移住センターと改称されたが海外移住者の減少に伴い1971年(昭和46)5月31日に閉館したことを記載する。
- 同じコラムは、1956年(昭和31)に横浜移住斡旋所が開設されてからは、最終出港地の横浜から乗船する移住者が増加したと記載する。
- 神戸市立中央図書館は、神戸港から乗船しブラジルへ移住する人々の施設として昭和3年(1928)に移民収容所が建設され、出国手続きや健康診断のほか、移住地の言語・宗教・地理・風俗・農業事情などの必要な知識を身につけることを目的とした施設だったと記載する。
- 同じページは、施設の名称が時代とともに神戸移住教養所、神戸移住斡旋所、神戸移住センターと改称され、その間に約20万人の人々を海外に送り出したと記載する。
- 同じページは、第1回芥川賞受賞作である石川達三の『蒼氓』がこの移民収容所を舞台にした小説であり、著者が集団移民を取材して収容所の様子やブラジルを目指した人々の実情を描いたと記載する。
- 同じページは、昭和46年(1971)に移民船による神戸からのブラジル移民が終了して施設が役割を終えたこと、平成21年(2009)に建物が整備され神戸市立海外移住と文化の交流センターの名称で生まれ変わったことを記載する。
- 海外移住と文化の交流センターは、1971年5月に移民船ぶらじる丸が神戸港を出港したのを最後に神戸移住センターが閉鎖され、その後は神戸市立高等看護学院などに使われたこと、2008年に改修工事が行われ2009年6月3日に開館したことを記載する。
- 神戸市中央区の史跡資料は、1928年(昭和3)3月に設置された建物が六百床で食堂・医務室・講堂を備え、外観を外航船の造りにまねた一部五階建てだったと記載する。あわせて、ブラジル移民発祥之地の碑が1979年(昭和54)に建てられ、碑の石材はブラジル在住の兵庫県人会有志から贈られたものだと記載する。
- 神戸大学附属図書館のデジタルアーカイブは、大阪毎日新聞神戸版1928年3月5日に、わが国唯一の国立移民収容所と題する記事があると記載する。
そのため、このページではこうしています
- 海外移住は当時の国の施策として行われた行政上のできごととして、資料に記された事実のみを記した。
- 地図の目印は建物に置いた。移住坂は港へ下る道筋にあたり、起点と終点を示す資料に到達できなかったため線としては示していない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 移住坂の起点と終点を具体的に示した資料、および現地に坂の名を示す標識があるかどうかは確認できなかった。
- 建物の設計者について、裏づけとなる資料に到達できなかった。
- この施設を経て海外へ渡った人数について、神戸市立中央図書館は約20万人と記し、国立国会図書館のコラムは約25万人の移民を送出したと記す。なお神戸市中央区の史跡資料は、戦前戦後を通じ640隻の移民船が神戸とブラジルの間を往復し約25万人がブラジルへ移住したと記しており、施設を経た人数とブラジルへ渡った総数のどちらを指すかで数字が分かれる。
- 移民船による移住の終わりについて、海外移住と文化の交流センターは1971年5月のぶらじる丸を日本最後の移民船と記すが、日伯協会は移民船によるブラジル移住が横浜からの最終船で1973年に終了したと記す。
- 神戸移住センターへの改称年について、国立国会図書館と施設は1964年と記し、神戸市中央区の史跡資料は1963年に海外移住事業団神戸移住センターとなったと記す。
参考・出典
- コラム 国立神戸移民収容所(神戸移住センター)/電子展示会 ブラジル移民の100年
国立国会図書館(公式) - 神戸を知る 神戸移住センター
神戸市立中央図書館(公式) - センターについて
神戸市立海外移住と文化の交流センター(公式) - 中央区のあゆみ 史跡・町名編 E-14 ブラジル移民発祥之地の碑と旧神戸移住センター(2024年保存版)
神戸市中央区(公式・Internet Archive保存) - 移住ミュージアムのご紹介
一般財団法人日伯協会 - わが国唯一の国立移民収容所(大阪毎日新聞 神戸版 1928年3月5日)
神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ 新聞記事文庫
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