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元町という町名の誕生と旧西国街道|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 推定 / 最終確認日: 2026-08-30

神戸市中央区の元町は、東西約1.2キロメートルの商店街とその町名で知られる。神戸元町商店街の公式サイトは、この商店街の道が旧西国街道であり、通りが「元町本通」と名付けられていると説明する。同サイトの記事は、西国街道が芦屋の打出で本街道と浜街道に分かれ、二本が生田筋で合流して三宮神社の南の筋から元町通へ入る道筋であったと記す。元町という町名が生まれた経緯について、資料はかなり具体的な日付を挙げる。神戸元町商店街の公式サイトは、明治7年(1874)5月20日、当時の県令であった神田孝平が、南北に分けられていた大手町・濱町・札場町・松屋町・中町・西町・城下町・東本町・西本町・八幡町を東西の横軸に分断する形で元町通・栄町通・海岸通・南長狭通と改称した日を、商店街の発足としてきたと記す。同商店街は2024年に「神戸元町誕生150年」を掲げており、この年数も明治7年を起点とすると合う。ここで気をつけたいのは、村の合併と町名の誕生が別の出来事だという点である。元町通の町名の変遷をまとめた事典項目は、神戸史学会編『神戸の町名 改訂版』などを引きながら、神戸・二ツ茶屋・走水の三か村が合併して神戸町となったのは明治元年11月(1868年12月)であり、そのとき各町は「神戸八幡町」のように「神戸」を冠して呼ばれたと整理する。元町通の町名が誕生して以前の古い町名がなくなったのは、その6年後の明治7年であるという。三村の合併と同時に元町の名が生まれたと読める資料もあるが、それは二つの出来事を縮めた書き方だと考えられる。命名の理由については、どの資料も慎重な言い回しをとる。商店街の公式サイトに転載された2001年の新聞記事は、開港の影響で一帯に人がたくさん集まるようになったため「ここが神戸のもとの町」という意味で名づけられたという、と伝聞の形で書く。同サイトの別の記事も、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている、と記す。神戸市の公式サイトは、古くから重要な幹線道路として発展してきた西国街道を、中央区の歴史的資源のひとつとして挙げている。痕跡は町の側に残っている。元町通5丁目の走水神社は、明治8年(1875)に天満宮と八幡神社を合祀した際、その場所が旧走水村であったことから走水神社と呼ばれるようになったと伝えられ、消えた村の名を今に伝えている。商店街の西の端には兵庫縣里程元標が立つ。そして街道そのものは、アーケードの下をまっすぐ延びる一本道として残っている。

時のながれ

編集部の調査メモ

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資料で確認できたこと

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