元町という町名の誕生と旧西国街道|何があった場所か
神戸市中央区の元町は、東西約1.2キロメートルの商店街とその町名で知られる。神戸元町商店街の公式サイトは、この商店街の道が旧西国街道であり、通りが「元町本通」と名付けられていると説明する。同サイトの記事は、西国街道が芦屋の打出で本街道と浜街道に分かれ、二本が生田筋で合流して三宮神社の南の筋から元町通へ入る道筋であったと記す。元町という町名が生まれた経緯について、資料はかなり具体的な日付を挙げる。神戸元町商店街の公式サイトは、明治7年(1874)5月20日、当時の県令であった神田孝平が、南北に分けられていた大手町・濱町・札場町・松屋町・中町・西町・城下町・東本町・西本町・八幡町を東西の横軸に分断する形で元町通・栄町通・海岸通・南長狭通と改称した日を、商店街の発足としてきたと記す。同商店街は2024年に「神戸元町誕生150年」を掲げており、この年数も明治7年を起点とすると合う。ここで気をつけたいのは、村の合併と町名の誕生が別の出来事だという点である。元町通の町名の変遷をまとめた事典項目は、神戸史学会編『神戸の町名 改訂版』などを引きながら、神戸・二ツ茶屋・走水の三か村が合併して神戸町となったのは明治元年11月(1868年12月)であり、そのとき各町は「神戸八幡町」のように「神戸」を冠して呼ばれたと整理する。元町通の町名が誕生して以前の古い町名がなくなったのは、その6年後の明治7年であるという。三村の合併と同時に元町の名が生まれたと読める資料もあるが、それは二つの出来事を縮めた書き方だと考えられる。命名の理由については、どの資料も慎重な言い回しをとる。商店街の公式サイトに転載された2001年の新聞記事は、開港の影響で一帯に人がたくさん集まるようになったため「ここが神戸のもとの町」という意味で名づけられたという、と伝聞の形で書く。同サイトの別の記事も、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている、と記す。神戸市の公式サイトは、古くから重要な幹線道路として発展してきた西国街道を、中央区の歴史的資源のひとつとして挙げている。痕跡は町の側に残っている。元町通5丁目の走水神社は、明治8年(1875)に天満宮と八幡神社を合祀した際、その場所が旧走水村であったことから走水神社と呼ばれるようになったと伝えられ、消えた村の名を今に伝えている。商店街の西の端には兵庫縣里程元標が立つ。そして街道そのものは、アーケードの下をまっすぐ延びる一本道として残っている。
時のながれ
- 慶応3年(1867) — 神戸市の神戸歴史遺産のページは、1868年1月1日(旧暦の慶応3年12月7日)に神戸港が開港したと記す。
- 明治元年(1868) — 元町通の町名の変遷をまとめた事典項目は、神戸・二ツ茶屋・走水の三か村が合併して神戸町となったのは明治元年11月であると記す。
- 明治5年(1872) — 同項目は、「神戸」を冠して呼ばれていた11の町名がこの年に正式な町名となったと記す。
- 明治7年(1874) — 神戸元町商店街の公式サイトは、5月20日に県令神田孝平が旧来の町々を元町通・栄町通・海岸通・南長狭通へ改称したと記す。
- 明治8年(1875) — 走水神社の由緒を伝える記述は、天満宮と八幡神社を合祀した際、その場所が旧走水村であったことから走水神社と呼ばれるようになったとする。
- 昭和6年(1931) — 事典項目は、冠称の「神戸」が外れて町名が元町通になったと記す。
- 昭和28年(1953) — 商店街の公式サイトに転載された新聞記事は、7月に6丁目で全国初とされるアーケードが完成し、約10年で東端の1丁目まで約1.2キロメートルが覆われたと記す。
- 令和6年(2024) — 神戸元町商店街は「神戸元町誕生150年」を掲げ、5月に記念の催しを行った。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 神戸元町商店街の公式サイトは、明治7年(1874)5月20日に県令神田孝平が大手町・濱町などの町々を元町通・栄町通・海岸通・南長狭通へ改称した日を、商店街の発足としてきたと記す。
- 同サイトは、西国街道が三宮神社の南の筋から元町通へ入り、約1.2キロメートルの元町商店街が西国街道としてもっとも華やかな形で現代に息づいていると説明する。
- 同サイトに転載された2001年の新聞記事は、開港の影響で人が集まったため「ここが神戸のもとの町」という意味で名づけられたという、と伝聞の形で記す。
- 元町通の町名の変遷をまとめた事典項目は、神戸史学会編『神戸の町名 改訂版』などを引き、神戸・二ツ茶屋・走水の三か村の合併による神戸町の成立を明治元年11月(1868年12月)とする。
- 同項目は、明治7年に元町通の町名が誕生して以前の古い町名がなくなり、昭和6年(1931)に冠称の「神戸」が外れて元町通になったと記す。
- 走水神社の由緒を伝える記述は、明治8年(1875)に天満宮と八幡神社を合祀した際、その場所が旧走水村であったことから走水神社と呼ばれるようになったとする。
- 神戸市の神戸歴史遺産のページは、1868年1月1日(旧暦の慶応3年12月7日)に神戸港が開港したと記す。
- 神戸市中央区の区の概要のページは、古くから重要な幹線道路として発展してきた西国街道を、区の歴史的資源のひとつとして挙げる。
そのため、このページではこうしています
- 三か村の合併と元町通の町名誕生を別の出来事として書き分け、年を混同しないようにした。
- 命名の理由は各資料が伝聞の形で書いているため、こちらもそのまま伝聞の形で紹介した。
- 対象が約1.2キロメートルの通りであるため、商店街のほぼ中央にあたる元町通4丁目付近を代表点とした。
- 兵庫縣里程元標は建立年の記述が分かれるため、年を示さず所在だけを記した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 神戸市の公式資料のうち、元町の地名由来そのものを説明したものには行き当たらなかった。由来の記述は商店街の公式サイトと事典類に依っている。
- 元町商店街の通りに西国街道を示す説明板が現在あるかどうかは確かめられなかった。2009年の商店街公式サイトの記事は、にぎわいのなかに街道を示す標識が見あたらないと記している。
- 兵庫縣里程元標の建立年と移設の経緯は、資料によって明治42年・明治43年・昭和35年再建などと記述が分かれ、確定できなかった。
- 神田孝平による命名を伝える一次史料そのもの(布告の原文)には到達できなかった。
- 商店街公式サイトに転載された2001年の新聞記事は、開港6年後の1874年に三か村が合わせて元町になったと記すが、事典項目は三か村の合併(明治元年)と元町通の町名誕生(明治7年)を別の出来事として整理する。両方の書き方があることを示した。
- 明治7年に元町通と同時に生まれた町名について、商店街公式サイトは南長狭通を挙げるのに対し、事典項目は北長狭通が誕生し、南長狭通は町名として定着せず間もなく消滅したと記す。
- 地域情報誌の記事は命名を「明治5年(1874)」と記すが、明治5年は1872年にあたり、元号と西暦が食い違っている。
参考・出典
- 西国街道(夢街道・元町マガジン)
神戸元町商店街連合会 - 「ここが神戸のもとの町」(元町点描・毎日新聞2001年4月7日掲載記事の転載)
神戸元町商店街連合会 - 神田孝平(五)(夢街道・元町マガジン)
神戸元町商店街連合会 - 神戸元町誕生150年を記念して
神戸元町商店街連合会 - 全国初のアーケード完成(元町点描・毎日新聞2001年5月29日掲載記事の転載)
神戸元町商店街連合会 - 神戸の歴史 近代(明治・大正・昭和)
神戸市(神戸歴史遺産) - 神戸市中央区 区の概要
神戸市中央区 - 元町通
ウィキペディア日本語版 - 走水神社(神戸市)
ウィキペディア日本語版 - 北長狭通
ウィキペディア日本語版 - 文明開化を象徴する「元町」(このまちアーカイブス 神戸)
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🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 三宮神社と生田裔神八社(「三宮」という地名の由来と伝わる社)(地の痕跡・約776m)
- 神戸外国人居留地跡(旧居留地煉瓦造下水道と十五番館)(地の痕跡・約816m)
- 湊川の戦いの古戦場と楠木正成墓碑(湊川神社)(戦の痕跡・約887m)
- 神戸大空襲の被災地と「神戸空襲を忘れない いのちと平和の碑」(大倉山公園)(戦の痕跡・約957m)