← 痕跡マップ(地図)へ
戦 戦の痕跡 資料確認済み

湊川の戦いの古戦場と楠木正成墓碑(湊川神社)|何があった場所か

位置精度: 推定 / 最終確認日: 2026-08-28

兵庫県立考古博物館が公開する指定文化財の一覧は、国指定史跡の欄に楠木正成墓碑を掲げ、指定年月日を昭和26年6月9日、指定面積を2,568.56平方メートル、所在地を神戸市中央区多聞通3-1と記載する。湊川神社の境内にあたる。日本大百科全書は、湊川の戦いを1336年(延元1・建武3)5月25日の摂津国湊川における足利尊氏・直義軍と楠木正成・新田義貞軍の戦いとし、湊川を背にして会下山に陣する正成軍と和田岬に陣する新田軍を割るように、尊氏軍の先発である細川軍が和田岬に上陸して戦いが始まったと説明する。同じ書は、3時間16回にわたる戦いの末に正成が湊川の北の在家で弟とともに自害したと記す。戦いの舞台となった湊川そのものは、明治34年(1901)に完成した湊川隧道によって流路が付け替えられており、当時の地形はそのまま残ってはいない。いま境内に立つ墓碑は、戦いから356年のちのものである。湊川神社は、大日本史を編纂した徳川光圀が元禄5年(1692)に佐々木宗淳を遣わし、建碑費183両余をかけて墓碑を建立したと説明する。四角の台座の上に神獣の形に刻んだ亀趺を据え、その上に碑石を担がせる亀趺碑という様式で、碑石には正成の故郷である大阪の青和泉石、亀趺には京都の白川石、台座には神戸の御影石と、ゆかりの地の石が用いられていると同じ社は記す。社そのものの創建は明治5年(1872)である。

時のながれ

編集部の調査メモ

このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。

資料で確認できたこと

そのため、このページではこうしています

現地確認: 未実施

❓まだ分かっていないこと

この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。

ご存知のことがあれば情報をお寄せください

参考・出典

地図で見る →

近くの痕跡

神戸市中央区 の痕跡一覧を見る →

あなたの住所には、どんな痕跡が眠っているでしょうか。

あなたの住所の痕跡濃度を測る →

本ページの位置情報・年代・経緯は概略です。掲載内容の確からしさは、ページ内の根拠ラベル(資料確認済み・資料候補・伝承・噂)の区分をご確認ください。 私有地への立ち入りを目的とした利用はご遠慮ください。誤りのご指摘・削除依頼は運営までご連絡ください。