← 痕跡マップ(地図)へ
地 地の痕跡 資料確認済み

神戸外国人居留地跡(旧居留地煉瓦造下水道と十五番館)|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-27

神戸市歴史公文書館は、慶応3年4月(1867年)の取極に基づいて幕府が神戸村で外国人居留地の造成に着手したものの開港には間に合わず、慶応4年6月(1868年)にようやく工事が終わったと記す。区域は東が旧生田川(現在のフラワーロード)、西が鯉川筋、北が旧西国街道、南が海で、神戸旧居留地オフィシャルサイトはおよそ500メートル四方の砂地と畑地だったと説明する。神戸市立博物館は、基本計画をイギリス海軍の測量技師C.ブロックが幕末に起こし、イギリス人土木技師J.W.ハートが引き継いで明治5年7月に計画図を仕上げたとし、周囲を含む南北8条・東西5条の街路と126区画、歩道と車道の分離、街灯、下水道が図示されていると解説する。文化庁は浪花町・明石町に残る煉瓦造の下水管を国の登録有形文化財に登録し、神戸市は約90メートルが今も雨水管として働くと記す。居留地は明治32年(1899年)7月17日に日本へ返還された。

時のながれ

編集部の調査メモ

このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。

資料で確認できたこと

そのため、このページではこうしています

現地確認: 未実施

❓まだ分かっていないこと

この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。

ご存知のことがあれば情報をお寄せください

参考・出典

地図で見る →

近くの痕跡

神戸市中央区 の痕跡一覧を見る →

あなたの住所には、どんな痕跡が眠っているでしょうか。

あなたの住所の痕跡濃度を測る →

本ページの位置情報・年代・経緯は概略です。掲載内容の確からしさは、ページ内の根拠ラベル(資料確認済み・資料候補・伝承・噂)の区分をご確認ください。 私有地への立ち入りを目的とした利用はご遠慮ください。誤りのご指摘・削除依頼は運営までご連絡ください。