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水 水の痕跡 資料確認済み

旧生田川の付け替え跡(フラワーロードと加納町の由来)|何があった場所か

位置精度: 推定 / 最終確認日: 2026-08-28

神戸市建設局の資料は、生田川がもともと今の位置より南西側、現在のフラワーロード(市役所前の道路)に位置していたと記す。同じ資料によれば、江戸時代末期から明治初期の川幅は80から100メートル程度で、通常の水量はわずかであるのに少しの大雨でたちまち氾濫し、多量の土砂を流出させて港や居留地付近に被害をもたらしていた。沿岸の土地は耕されずに荒れ果て、いまの加納町3丁目交差点付近では川から生田神社の東側まで川幅の約2倍の面積が遊砂場となり、競馬場も開かれていたという。居留地側から改修を強く要望された明治政府は付替工事に踏み切り、工事は明治4年(1871)3月から始まって、突貫工事の末わずか3か月で幅約18メートル、深さ4.5メートル、延長1.8キロメートルの新しい川が完成した。神戸市文書館の資料は、菟原郡熊内村字馬淵から脇浜村地先字小野浜海岸まで最短距離で通す計画であったとし、同年6月9日の竣工、総工費三万六百七十二両という数字まで挙げる。不要になった旧河道の払い下げを受けた加納宗七は、その中央に幅十間(約18メートル)の道路を設けて周辺を宅地に造成した。神戸市建設局は、それが現在の加納町であり、当時設けたメイン道路が現在のフラワーロードになったと説明する。昭和13年(1938)の阪神大水害では、洪水が昔の流れに沿ってフラワーロードを流れ下ったとも同じ資料は記す。

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